・・・斯る化物は街道に連れ出して見世物となすには至極面白かるべけれども、世の中のためには甚だ困りものなり。 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・これは松本街道なのである。翌日猿が馬場という峠にかかって来ると、何にしろ呼吸病にかかっている余には苦しい事いうまでもない。少しずつ登ってようよう半腹に来たと思う時分に、路の傍に木いちごの一面に熟しているのを見つけた。これは意外な事で嬉しさも・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・そして海岸にわずかの砂浜があってそこには巨きな黒松の並木のある街道が通っている。少し大きな谷には小さな家が二、三十も建っていてそこの浜には五、六そうの舟もある。さっきから見えていた白い燈台はすぐそこだ。ぼくは船が横を通る間にだまってすっ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・それらについて知らなかったけれども、子供の頃より折々そこに暮して、村の街道の赭土に深くきざみつけられた轍のあとまで眼と心にしみついている東北の一寒村の人々の生活の感銘から、この小説をかいたのであった。 当時、日本の文学は、白樺派の人道主・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・ 役所の令丁がその太鼓を打ってしまったと思うと、キョトキョト声で、のべつに読みあげた――『ゴーデルヴィルの住人、その他今日の市場に出たる皆の衆、どなたも承知あれ、今朝九時と十時の間にブーズヴィルの街道にて手帳を落とせし者あり、そのうちに・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・そこから加賀街道に転じて、越中国に入って、富山に三日いた。この辺は凶年の影響を蒙ることが甚しくて、一行は麦に芋大根を切り交ぜた飯を食って、農家の土間に筵を敷いて寝た。飛騨国では高山に二日、美濃国では金山に一日いて、木曽路を太田に出た。尾張国・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・わざと丁寧にこう云って、相手は溝端からちょっと高い街道にあがった。「そんな法はねえ。そりゃあ卑怯だ。おれはまるで馬鹿にされたようなものだ。銭は手めえが皆取ってしまったじゃないか。もっとやれ。」ツァウォツキイの声は叫ぶようであった。 ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・そのころはまだ純粋の武蔵野で、奥州街道はわずかに隅田川の辺を沿うてあッたので、なかなか通常の者でただいまの九段あたりの内地へ足を踏み込んだ人はなかッたが、そのすこし前の戦争の時にはこの高処へも陣が張られたと見えて、今この二人がその辺へ来かか・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ナポレオンの唇は、間もなくサン・クルウの白い街道の遠景の上で、皮肉な線を描き出した。ネーには、このグロテスクな中に弱味を示したナポレオンの風貌は初めてであった。「陛下、そのヨーロッパを征服する奴は何者でございます?」「余だ、余だ」と・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・注意深く設計された街道が、幾マイルも幾マイルも切れ目なく街路樹に包まれている。一日じゅう歩いて行っても、立派な畑に覆われた土地のみが続き、住民たちは土産の織物で作った華やかな衣服をまとっている。さらに南の方、コンゴー王国に行って見ると、「絹・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫