・・・は茶器である、然るにも係らず、徒に茶器を骨董的に弄ぶものはあっても、真に茶を楽む人の少ないは実に残念でならぬ、上流社会腐敗の声は、何時になったらば消えるであろうか、金銭を弄び下等の淫楽に耽るの外、被服頭髪の流行等極めて浅薄なる娯楽に目も・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・「糧秣や被服を運ぶんだ。」「糧秣や被服を運ぶのに、なぜそんなに沢山橇がいるんかね。」 イワンが云った。「それゃいるとも。――兵たいはみんな一人一人服も着るし、飯も食うしさ……。」 商人は、ペーターが持っている二台の橇を聯隊の・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・支那兵は生前、金にも食物にも被服にもめぐまれなかった有様を、栄養不良の皮膚と、ちぎれた、ボロボロの中山服に残して横たわっていた。それを見ると和田は何故とも知れず、ぞくッとした。 一度退却した馬占山の黒龍江軍は、再び逆襲を試みるために、弾・・・ 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・二年兵の食器洗い、練兵、被服の修理、学科、等々、あとからあとへいろ/\なことが追っかけて来るのでうんざりする。腹がへる。 軍隊特有な新しい言葉を覚えた。からさせ、──云わなくても分っているというような意。まんさす、──二年兵・・・ 黒島伝治 「入営前後」
・・・ 彼は、二個の兵器、二人分の被服を失った理由書をかゝねばならぬことを考えていた。 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・ 中でも一ばん悲さんだったのは、本所の被服しょうあとへにげこんだ人たちです。そこは、ともかく何万坪という広い構内ですから、本所かいわいの人たちは、だれもそこなら安全だと思って、どんどん荷物をはこびこみました。夜になってからは、いよいよ多・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・昨年九月一日被服廠跡で起った火焔の渦巻を支配したと同じ方則がここにも支配しているのだろうと思って、一生懸命に眺めていたが、この模糊とした煙の中から、そう手取早く要領を得た方則を読取る事は容易な仕事ではないのであった。 五回に一回くらいは・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・おそらく今度と同じか、むしろもっと甚だしい災害に襲われそうである。被服廠跡でも、今度は一箇所ですんだが、この次には、これが何箇所にもなるだろう。それから、今度の地震にはなかった新しい仕掛けの集団殺人設備が、いろいろ出来ているだろう。たとえ高・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・アメリカなどでも労働者の比率から見ると被服工場に働いている婦人労働者が第一位を占めている。アメリカの能率のよい生産行程では、一つの型紙でもって電気鋏で一度に数百枚の切れ地を切って電気ミシンで縫う。 特に裁縫ではいろいろ細工がある。衣料関・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・六日夜十一時頃、基ちゃんが門で張番をして居ると相生署の生きのこりの巡査が来、被服廠跡の三千の焼死体のとりかたづけのために、三十六時間勤務十二時間休息、一日に一つの玄米の握り飯、で働せられて居る由。いやでもそれをしなければ一つの握り飯も貰えな・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
出典:青空文庫