・・・ 午後 サイレンはついききおとしたが 方々の寺で鐘がなり、それに合わせるように 裏通りで 豆腐屋のラッパがしきりに鳴る、そういうあたりの活気をひろ子は 物珍しく感じた。 頭をあげて そとを見た。 曇っ・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
・・・ この頃、銀座の裏通りを歩いたりすると一寸した趣味とげてものをとりまぜたような店がふえて来ているのが目立つ。 一応贅沢が人目に立ってはいけない折から、本当の高貴なものは反物にしろ器物にしろ街頭からひっこんだところで動いているわけなの・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・ 外壁に沿った裏通りに古本屋が露店を出し、空屋に店を出して居るところにモーランの夜開く、武郎の或女、ゾラの小説がさらしてあった。 ○壁の厚さの感じ。 五日 ひどいモローズ プーシュキン・ブルールの樹木が皆真白・・・ 宮本百合子 「一九二七年八月より」
・・・今年の夏、医者通いをして久しぶりにこの裏通りを通ってみれば、もと藤堂の樫の木や石倉でさえぎられていた眺望は一変して、はるばると焼けあと遠く目路がひらけた。九尺に足りないその裏通りのあちらの塀から這い出した南瓜の蔓と、こちらの塀から伸びた南瓜・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・それでどの家も細かく葺いた木端屋根なのが、粗く而も優しい新緑の下で却って似合うのだ。裏通りなど歩くと、その木端屋根の上に、大きなごろた石を載せた家々もある。木曾を汽車で通ると、木曾川の岸に低く侘しく住む人間の家々の屋根が、やっぱりこんな風だ・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・我々は希望するしないに拘わらず、生粋の放蕩者ユロ男爵を遂に社会のどん底につき落したパリの美人局、従妹ベットの共犯者マルヌッフ夫妻の住んでいるぞっとするような湿っぽいルーブルの裏通りへ連れ込まれる。マルヌッフ夫婦の悪行で曇った食事皿の中の隠元・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ やがて、せまい町の裏通りにまでモーターの音をさせていた便乗景気に、淘汰が行われて来た。企業整備という名でいわれたその淘汰は、喘ぎながらも便乗していた街の小工場、小ブローカーをつぶして、より大きい設備と資本に整備した。戦争が進むにつれ、・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
・・・ 然し、みのえはジグザグ裏通りの狭いところを通って、女学校の往きに、時々油井の家へよった。会社員である油井も、電車へ八時半に乗らねばならぬ。「一緒に行かない?」 或る朝、みのえは赤い鞣皮の財布から五十銭出し、小さい一つの花束を買・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
・・・ そのまたつぎの年に、仲平は麻布長坂裏通りに移った。牛込から古家を持って来て建てさせたのである。それへ引き越すとすぐに仲平は松島まで観風旅行をした。浅葱織色木綿の打裂羽織に裁附袴で、腰に銀拵えの大小を挿し、菅笠をかむり草鞋をはくという支・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫