・・・濠の水は一層広く一層静かに望まれ、その端れに立っている桜田門の真白な壁が夕方前のやや濁った日の光に薄く色づいたままいずれが影いずれが実在の物とも見分けられぬほど鮮かに水の面に映っている。間もなく日比谷の公園外を通る。電車は広い大通りを越して・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・コートは着ていないので、一目に見分けられる着物や羽織。化粧の様子はどうやら場末のカフェーにいる女給らしくも思われた。わたくしは枯蘆の中から化けて出た狐のような心持がして、しげしげと女の顔を見た。 電線の鳴る音を先立てて、やがて電車が来る・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・籠ランプの灯を浅く受けて、深さ三尺の床なれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣がある。「ここにも画が出来る」と柱に靠れる人が振り向きながら眺める。 女は洗えるままの黒髪を肩に流して、丸張りの絹団扇を軽く揺がせば、・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・女は領を延ばして盾に描ける模様を確と見分けようとする体であったが、かの騎士は何の会釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢で、いよいよ目の前に近づいた時、女は思わず梭を抛げて、鏡に向って高くランスロットと叫んだ。ランスロットは兜の廂の下より・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・現に今日でも植物学者の見分け得る草や花の種類はほとんど吾人の幾百倍に上るであろうと思います。また諸君のような画家の鑑別する色合は普通人の何十倍に当るか分らんでしょう。それも何のためかと云えば、元に還って考えて見ると、つまりは、うまく生きて行・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・すっかり小さくなってしまいほんとうにもうそのまま胸にも吊されそうになり、さっきの女の子や青年たちがその前の白い渚にまだひざまずいているのかそれともどこか方角もわからないその天上へ行ったのかぼんやりして見分けられませんでした。 ジョバンニ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 弱い弱い視力を凝らして、堅い字を、罫紙にならべて行くうちに眉間が劇しく痛んで、疲れのために、字のかくは離れ離れになり、字と字の間から、種々なまぼしい光線が出て、こちゃこちゃに入り混って、到底見分けて居られなくなった。 紙をまとめて・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・併し、何処の人だか、見分けがつかなかった。「あちら、こちら……ない家歩いて、金沢山取ることありませんか?」「大丈夫ですよ、そんなこと!」 男は、辛辣な質問に驚いたように見えた。この外国人が日本に来、こんな質問をするような経験を多・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
・・・ やがて、レコードのレッテルの色で、メルバの独唱だのアンビル・コーラスだのいろいろ見分けがつくようになり、しまいには夕飯のあとでなど「百合ちゃん、チクオンキやる」と立って変な鼻声で、しかも実に調子をそっくり「マイマイユーメ、テンヒンホー・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・そのうち暗くなって骨牌が見分けられないようになった。それに雨に濡れて骨牌の色刷の絵までがにじんでぼやけて来た。無論相手の破落戸はそれには困らない。どうせ骨牌を裏から見て知っているからである。しかしきょうはもう廃す気になっていた。「いや。・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
出典:青空文庫