・・・ すると、一人の十二、三の少年が釣竿を持って、小陰から出て来て豊吉には気が付かぬらしく、こなたを見向きもしないで軍歌らしいものを小声で唱いながらむこうへ行く、その後を前の犬が地をかぎかぎお伴をしてゆく。 豊吉はわれ知らずその後につい・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・翁は見向きもせで答えぬ。「乞食の子を家に入れしは何ゆえぞ解しがたしと怪しむものすくなからず、独りはあまりに淋しければにや」「さなり」「紀州ならずとも、ともに住むほどの子島にも浦にも求めんにはかならずあるべきに」「げにしかり」・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・と応たぎり、乙は見向きもしない。すると甲は巻煙草を出して、「オイ君、燐寸を借せ。」「うん」と出してやる、そして自分も煙草を出して、甲乙共、のどかに喫煙いだした。「君はどう思う、縁とは何ぞやと言われたら?」 と思考に沈んでいた・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・『帰ろうか』と一人が答えますが、これは見向きもしません、実際何を自分で言ったのかまるで夢中なのでございます。 そのうちに雷がすぐ頭の上で鳴りだして、それが山に響いて山が破裂するかと思うような凄い音がして来たので、二人は物をも言わず糸・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・大将はどうかして物にしてやろうというので手間取っているだろうが、それじゃア実際君の知ってるとおり僕がやりきれない、故郷のやつら、人にものを頼む時はわいわい言って騒ぐくせに、その事がうまくゆくと見向きもしないんだ。人をばかにしてやアがる。だか・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・特高たちは、あ、又始まったと云って、自分たちの仕事にとりかゝって、見向きもしなかった。 検挙は十二月一日から少しの手ゆるみもしないで続いた。そっちにいるお前はおかしく思うだろうが、残された人達が「戦旗」の配布網を守って、飽く迄も活動・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・七人の男は鴉の方を見向きもしない。 どこをも、別荘の園のあるあたりをも、波戸場になっているあたりをも、ずっと下がって、もう河の西岸の山が畠の畝に隠れてしまう町のあたりをも、こんた黒い男等の群がゆっくり歩いている。数週前から慣れた労働もせ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・末筆ながら、おからだを大事にして、阿片などには見向きもせぬように、とまたしても要らざる忠告を一言つけ加えた。私のその時の手紙が、大隅君の気にいらなかったのかも知れない。返事が無かった。少からず気になっていたが、私は人の身の上に就いて自動的に・・・ 太宰治 「佳日」
映画を好む人には、弱虫が多い。私にしても、心の弱っている時に、ふらと映画館に吸い込まれる。心の猛っている時には、映画なぞ見向きもしない。時間が惜しい。 何をしても不安でならぬ時には、映画館へ飛び込むと、少しホッとする。・・・ 太宰治 「弱者の糧」
・・・めんどうくさい食べものには、見向きもしない。さんまなぞ、食べてみれば、あれは、おいしいものかも知れないが、この男は、それをきらう。とげがあるからである。いったいに魚肉をきらう様である。味覚の故ではなくして、とげを抜くのが面倒くさいのである。・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
出典:青空文庫