・・・かつて明治座の役者たちと共に、電車通の心行寺に鶴屋南北の墓を掃ったことや、そこから程遠からぬ油堀の下流に、三角屋敷の址を尋ね歩いたことも、思えば十余年のむかしとなった。 今日の深川は西は大川の岸から、東は砂町の境に至るまで、一木一草もな・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・この知識が偶然の功を奏して、当時富士見町の角屋敷に官職を辞していた老父のところへ、洋行がえりの同県人と称して来て五十円騙った男を追跡し、それをとりかえしたという逸話さえある。しかしながら、遽しく船出して見れば、境遇上故郷に走せる思いはおのず・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・石川の邸は水道橋外で、今白山から来る電車が、お茶の水を降りて来る電車と行き逢う辺の角屋敷になっていた。しかし伊織は番町に住んでいたので、上役とは詰所で落ち合うのみであった。 石川が大番頭になった年の翌年の春、伊織の叔母婿で、やはり大番を・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫