・・・とげとげする触感が、寝る時のほか脱いだ事のない草鞋の底に二足三足感じられたと思うと、四足目は軟いむっちりした肉体を踏みつけた。彼れは思わずその足の力をぬこうとしたが、同時に狂暴な衝動に駈られて、満身の重みをそれに托した。「痛い」 そ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・その手に感ずる暖いなめらかな触感はクララの愛欲を火のようにした。クララは抱きしめて思い存分いとしがってやりたくなって半身を起して乗しかかった。同時にその場合の大事がクララを思いとどまらした。クララは肱をついて半分身を起したままで、アグネスを・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 真蒼になって、身体のぶるぶると震う一樹の袖を取った、私の手を、その帷子が、落葉、いや、茸のような触感で衝いた。 あの世話方の顔と重って、五六人、揚幕から。切戸口にも、楽屋の頭が覗いたが、ただ目鼻のある茸になって、いかんともなし得な・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ あとは無我夢中で、一種特別な体臭、濡れたような触感、しびれるような体温、身もだえて転々する奔放な肢体、気の遠くなるような律動。――女というものはいやいや男のされるがままになっているものだと思い込んでいた私は、愚か者であった。日頃慎まし・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 子供の時の茣蓙遊びの記憶――ことにその触感が蘇えった。 やはり楓の樹の下である。松葉が散って蟻が匍っている。地面にはでこぼこがある。そんな上へ茣蓙を敷いた。「子供というものは確かにあの土地のでこぼこを冷たい茣蓙の下に感じる蹠の・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・温かい肉の触感が言うに言われぬ思いをそそる。ことに、女の髪の匂いというものは、一種のはげしい望みを男に起こさせるもので、それがなんとも名状せられぬ愉快をかれに与えるのであった。 市谷、牛込、飯田町と早く過ぎた。代々木から乗った娘は二人と・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・さらにまた、盲人の触感は猫の毛の「光沢」を識別し、贋造紙幣を「発見」する。しかし、物の表面の「粗度」の物理的研究はまだ揺籃時代を過ぎない。これほどに有力な感官の分析総合能力が捨てて顧みられない一つの理由は、その与えるデータが数量的でないため・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・中にはどんぐりか椎の実でもはいっているような触感があった。袋の口をあけてのぞいて見ると実際それくらいの大きさの何かの球根らしいものがいっぱいはいっている。一握り取り出して包み紙の上に並べて点検しながらも、これはなんだろうと考えていた。 ・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・長い筆の先に粘い絵の具をこねるときの特殊な触感もさらに強く二十余年前の印象を盛り返して、その当時の自分の室から庭の光景や、ほとんど忘れかかった人々の顔をまのあたりに見るような気がした。 まず手近な盆栽や菓子やコップなどと手当たり次第にか・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ 研究室へ帰って新着の雑誌を読んで行くと「音の触感」に関する研究の報告がある。蓄音機のレコードの発する音響をすっかり殺してしまって、その上に耳を完全にふさいで、ただ指先の触感だけで楽音の振動をどれだけ判別できるかということを研究したもの・・・ 寺田寅彦 「試験管」
出典:青空文庫