・・・しかしあるいはこれは聴感に対する音楽に対立させうべき触感あるいは筋肉感に関する楽音のようなものではあるまいか。音自身よりはむしろ音から連想する触感に一種の快を経験するのではあるまいか。それともまたもっと純粋に心理的な理由によるものだろうか。・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・われわれの心の皮膚はかなり鋭い冷湿の触感を感じ、われわれの心の鼻はかびや煤の臭気にむせる。そのような官能の刺激を通じて、われわれ祖先以来のあらゆるわびしくさびしい生活の民族的記憶がよびさまされて来る。同時にまた一般的な「春雨」のどこかはなや・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・振り子のごとき週期的の運動に対する触感と自分の脈搏とを比較して振動の等時性というような事を考え時計を組み立てる事は可能であるかもしれぬ。しかし自分の手足の届くだけの狭い空間以外の世界に起こっている現象を自分の時計にたよって観測する事はよほど・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・ここでも月下の新畳と視感ないし触感的な立場から見て油との連想的関係があるかないかという問題も起こし得られなくはない。これはあまり明瞭でないが「かますご食えば風かおる」の次に「蛭の口処をかきて気味よき」の来るのなどは、感官的連想からの説明が容・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・しかしよく考えてみると枕や寝床の触感のほかに横臥のために起こる全身の血圧分布の変化はまさにこれに当たるものであると考えられる。問題の「車上」の場合にはこの条件が充分に満足されている事が明白である。ただむしろ刺激があり過ぎるので、病弱なものや・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・村のすべての人々がまるで盲人のように触感で生活し、皆が何物かを恐れ、互に信ぜず、何か狼のようなものが彼等の中にある。」ゴーリキイにとっては「理性的に生活しようと欲する人々を何故あれ程執拗に愛さないのかを、理解するのが困難であった。」労働者と・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・あの像もまた単に色や形をのみ見るのではなくして、まさしく触感を見るというべきものである。それもただ銅のみが与え得るような、従って大理石や木や乾漆などにはとうてい見ることのできないような、特殊な触覚的の美しさである。しかもそれが黒青く淀んだ、・・・ 和辻哲郎 「岡倉先生の思い出」
・・・その形と色と触感との不思議な美しさは彼らには無関係である。彼らはただその壺の値段を見る。その壺で儲けたある骨董屋の事を考える。同様にまた彼らが一人の美女を見る場合にも、この女の容姿に盛られた生命の美しさは彼らには無関係である。彼らはただ肉欲・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫