・・・ そんな事が一年ほど続いた後、ある日趙生が久しぶりに、王生の家を訪れると、彼は昨夜作ったと云って、元げんしんたいの会真詩三十韻を出して見せた。詩は花やかな対句の中に、絶えず嗟嘆の意が洩らしてある。恋をしている青年でもなければ、こう云う詩・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・が、さて遊歴の途に上ってみると、何かと行く所も多いものですから、容易に潤州の張氏の家を訪れる暇がありません。私は翁の書を袖にしたなり、とうとう子規が啼くようになるまで、秋山を尋ねずにしまいました。 その内にふと耳にはいったのは、貴戚の王・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・ある時病院を訪れると、お前たちの母上は寝台の上に起きかえって窓の外を眺めていたが、私の顔を見ると、早く退院がしたいといい出した。窓の外の楓があんなになったのを見ると心細いというのだ。なるほど入院したてには燃えるように枝を飾っていたその葉が一・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 聞き澄すと、潟の水の、汀の蘆間をひたひたと音訪れる気勢もする。……風は死んだのに、遠くなり、近くなり、汽車が谺するように、ゴーと響くのは海鳴である。 更に遠く来た旅を知りつつ、沈むばかりに階段を下切った。 どこにも座敷がない、・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 五 お光の俥は霊岸島からさらに中洲へ廻って、中洲は例のお仙親子の住居を訪れるので、一昨日媼さんがお光を訪ねた時の話では、明日の夕方か、明後日の午後にと言ったその午後がもう四時すぎ、昨日もいたずらに待惚け食うし、今日・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ところが、三月ばかりたつと、亀やんはぽっくり死んでしまったので、私はまた拾い屋になろうと思って、ガード下の秋山さんを訪れると、もう秋山さんはどこかへ行ってしまったのか、姿を消していました。井戸水を貰っていた百姓家の人に訊いても、秋山さんが出・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 実際私は訪れるたびに呆れていた、いや訪れることすら避けたかったくらい、それはどんな健康な人間でもそこに住めば病気になってしまうだろうと思われた、それほど陰気な部屋であった。佐伯はそのなかに蝸牛のように住みついていたのである。その部屋は・・・ 織田作之助 「道」
・・・僕が中学校にはいっていたとき、この文句を英文法の教科書のなかに見つけて心をさわがせ、そしてこの文句はまた、僕が中学五年間を通じて受けた教育のうちでいまだに忘れられぬ唯一の智識なのであるが、訪れるたびごとに何か驚異と感慨をあらたにしてくれる青・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・このあたりには珍らしい羊歯類が多くて、そんな採集家がしばしば訪れるのだ。 滝壺は三方が高い絶壁で、西側の一面だけが狭くひらいて、そこから谷川が岩を噛みつつ流れ出ていた。絶壁は滝のしぶきでいつも濡れていた。羊歯類は此の絶壁のあちこちにも生・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ちょっと近所の友人の家を訪れる時にも、かならず第一の正装をするのだ。ふところには、洗ったばかりのハンケチが、きちんと四つに畳まれてはいっている。 私は、このごろ、どうしてだか、紋服を着て歩きたくて仕様がない。 けさ、花を買って帰る途・・・ 太宰治 「新郎」
出典:青空文庫