・・・私たちは、やっと、東京の三鷹村に、建築最中の小さい家を見つけることができて、それの完成ししだい、一か月二十四円で貸してもらえるように、家主と契約の証書交して、そろそろ移転の仕度をはじめた。家ができ上ると、家主から速達で通知が来ることになって・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・ 入学証書と云ったような幅一尺五寸長二尺ほどの紙に大きな活字で皇帝や総長の名を黒々と印刷したものを貰ったが文句はラテン語で何の事か分らない、見ていると気の遠くなるようなものであった。日附の所に D. Berolini d. 19. me・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・修学証書や辞令書のようなものの束ねたのを投げ出すと黴臭い塵が小さな渦を巻いて立ち昇った。 定規のようなものが一把ほどあるがそれがみんな曲りくねっている。升や秤の種類もあるが使えそうなものは一つもない。鏡が幾枚かあるがそれらに映る万象はみ・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・範』を読んでいた頃、翰は夙に唐宋諸家の中でも殊に王荊公の文を諳じていたが、性質驕悍にして校則を守らず、漢文の外他の学課は悉く棄てて顧ないので、試業の度ごとに落第をした結果、遂に学校でも持てあまして卒業証書を授与した。強面に中学校を出たのは翰・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・されば其の際僕の身は猶海外に在ったから拙著の著作権を博文館に与えたという証書に記名捺印すべき筈もなく、又同書出版の際内務省に呈出すべき出版届書に署名した事もないわけである。官庁及出版商に対する其等の手続は思うに当時博文館内に在った木曜会会員・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・その有様は、心身に働なき孤児・寡婦が、遺産の公債証書に衣食して、毎年少々ずつの金を余ますものに等し。天下の先覚、憂世の士君子と称し、しかもその身に抜群の芸能を得たる男子が、その生活はいかんと問われて、孤児・寡婦のはかりごとを学ぶとは、驚き入・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・ さあ大変だあたし字なんか書けないわとひなげしどもがみんな一諸に思ったとき悪魔のお医者はもう持って来た鞄から印刷にした証書を沢山出しました。そして笑って云いました。「ではそのわしがこの紙をひとつぱらぱらめくるからみんないっしょにこう・・・ 宮沢賢治 「ひのきとひなげし」
・・・ それは家畜撲殺同意調印法といい、誰でも、家畜を殺そうというものは、その家畜から死亡承諾書を受け取ること、又その承諾証書には家畜の調印を要すると、こう云う布告だったのだ。 さあそこでその頃は、牛でも馬でも、もうみんな、殺される前の日・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・ 学校で戴いた修業証書を見ていた芳子さんは、其の言葉と一緒に顔を上げました。「真個に――御免なさい、芳子さん、私、今まで沢山貴女にすまない事をしてしまったわね、真個に悪かったと思うの、友子さんが……。」「よくってよ、よくってよ政・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・ あの人は、なかなかうまい事考え居る。 証書を反古にするつもりで年限などを忘れさせる様にしとるんや。 東京の方へも云うてやって、委任状もろうて、証書の書き換えをさせんならん。 なあ栄蔵はん、 この村も、金臭くなって仕舞う・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫