・・・謄写刷りの読みにくい字で、誤字も多かったが、八十頁余りのその記録をその夜のうちに読み終った。 神田の新銀町の相模屋という畳屋の末娘として生れた彼女が、十四の時にもう男を知り、十八の歳で芸者、その後不見転、娼妓、私娼、妾、仲居等転々とした・・・ 織田作之助 「世相」
・・・マツ子から五枚の原稿用紙を受けとり、一枚に平均、三十箇くらいずつの誤字や仮名ちがいを、腹を立てずに、ていねいに直して行きながら、私は、たった五枚か、とげっそりしていた。むかし、江戸番町にお皿の数をかぞえるお菊という幽霊があった。なんどかぞえ・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・想うに蕪村は誤字違法などは顧みざりしも、俳句を練る上においては小心翼々として一字いやしくもせざりしがごとし、古来文学者のなすところを見るに、多くは玉石混淆せり、なすところ多ければ巧拙両つながらいよいよ多きを見る。杜工部集のごときこれなり。蕪・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫