・・・牛乳屋の物食う口は牛七匹と人五人のみのように言いしは誤謬にて、なお驢馬一頭あり、こは主人がその生国千葉よりともないしという、この家には理由ある一物なるが、主人青年に語りしところによれば千葉なる某という豪農のもとに主人使われし時、何かの手柄に・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ 既成の諸宗の誤謬は仏陀の方便の権教を、真実教と間違えたところにある。仏陀の真実教は法華経のほかには無い。仏陀出世の本懐は法華経を説くにあった。「無量義経」によれば、「四十余ニハ未だ真実ヲ顕ハサズ」とある。この仏陀の金言を無視するは許さ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・伊村説は、徹頭徹尾誤謬であったという事が証明せられた。ウソであったのである。私は、サタンでなかったのである。へんな言いかたであるが、私は、サタンほど偉くはない。この世の君であり、この世の神であって、彼は国々の凡ての権威と栄華とをもっているの・・・ 太宰治 「誰」
・・・しかしもし蠅を絶滅するというのなら、その前に自分のこの空想の誤謬を実証的に確かめた上にしてもらいたいと思うのである。 あえて蠅に限らず動植鉱物に限らず、人間の社会に存するあらゆる思想風俗習慣についても、やはり同じようなことがいわれはしな・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・「追憶の誤謬」に関する十分の知識を基礎としてそれらの資料の整理をしなければならないことはもちろんであるが、しかし整理は百年の後でも出来る。資料は一日おくれたら永久に失われる。私はこの機会に夏目先生に関するあらゆる隠れた資料が蒐集され記録され・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・がないという考えは根本的の誤謬であって、この誤りを認証した上では立体映画なるもののもたらしうべき可能性の幅員はおのずから見積もり得られるであろうと思う。 人工映画 実在の人間や動物や家屋や景色や、あるいは実在なものの・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・しかしそれはいずれも三十前後の時の戯れで、当時の記憶も今は覚束なく、ここに識す地名にも誤謬がなければ幸である。 真間川の水は堤の下を低く流れて、弘法寺の岡の麓、手児奈の宮のあるあたりに至ると、数町にわたってその堤の上に桜の樹が列植されて・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・しかしそう思うのは誤謬である。親は小児に対して無慈悲ではない、冷刻でもない。無論同情がある。同情はあるけれども駄菓子を落した小供と共に大声を揚げて泣くような同情は持たぬのである。写生文家の人間に対する同情は叙述されたる人間と共に頑是なく煩悶・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・そうして以上の説明はけっして論理その他の誤謬を含んでおらんと信じます。有名な人の作曲さえやれば、どんな下手が奏しても構わないと云う御主意ならば文章も技巧は無用かも知れませんが、私にはそうは思われません。そうして技巧を無用視せらるる方のうちに・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・これを是れ知らずして自から心を悩ますは、誤謬の甚しき者というべし。故に有形なる身分の下落昇進に心を関せずして、無形なる士族固有の品行を維持せんこと、余輩の懇々企望するところなり。ただこの際において心事の機を転ずること緊要にして、そのこれを転・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫