自分が中村彝氏を訪問したのはあとにも先にもただ一度である。 田中舘先生の肖像を頼む事に関して何かの用向きで、中村清二先生の御伴をして、谷中の奥にその仮寓を尋ねて行った。それは多分初夏の頃であったかと思う。谷中の台地から・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
・・・また出ますと云うたら宿は何処かと聞いたから一両日中に谷中の禅寺へ籠る事を話して暇を告げて門へ出た。隣の琴の音が急になって胸をかき乱さるるような気がする。不知不識其方へと路次を這入ると道はいよいよ狭くなって井戸が道をさえぎっている。その傍で若・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・また降り出さぬ間と急いで谷中へ帰れば木魚の音またポン/\/\。 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・ここの屋根の下に賄いの小川の食堂があって、谷中のお寺に下宿していた学生時代に、時々昼食を食いに行った。オムレツと焼玉子の合の子のようなものが、メニューの中にあった。「味つき」と「味なし」と二通りあった。「オイ、味なし」。「味つき」。そういう・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・ 桜花は上野の山内のみならず其の隣接する谷中の諸寺院をはじめ、根津権現の社地にも古来都人の眺賞した名木が多くある。斎藤月岑の東都歳事記に挙ぐるものを見れば、谷中日暮里の養福寺、経王寺、大行寺、長久院、西光寺等には枝垂桜があり、根津の社内・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ この文を読んで、現在はセメントの新道路が松竹座の前から三ノ輪に達し、また東西には二筋の大道路が隅田川の岸から上野谷中の方面に走っているさまを目撃すると、かつて三十年前に白鷺の飛んでいたところだとは思われない。わたくしがこの文につい・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・何処まで行くのかと車掌にきくと、雷門を過ぎ、谷中へまわって上野へ出るのだという。 道の真中に突然赤い灯が輝き出して、乗合自動車が駐ったので、其方を見ると、二、三輌連続した電車が行手の道を横断して行くのである。踏切を越えて、町が俄に暗くな・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
レーク・Gへ行く前友達と二人で買った洋傘をさし、銀鼠の透綾の着物を着、私はAと二人で、谷中から、日暮里、西尾町から、西ケ原の方まで歩き廻った。然し、実際、家が払底している。時には、間の悪さを堪え、新聞を見て、大崎まで行き、・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
・・・ 藍染川と母たちがよんでいたその石橋のところが、ちょうど、谷中と本郷の境のようになっていた。動物園から帰って来るとき、谷中のお寺の多いだらだら坂を下りて、惰力のついた足どりでその石橋をわたると、暫く平地で、もう一つ団子坂をのぼらなければ・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・しかし、周囲の生活の内容は谷中天王寺町の小さい庭をもった家の中でのものとすっかりちがい、一人の婦人作家を、その日常の生活でカナダにおける移民問題の中へ、第二世問題の中へ押し出した結果となった。 ジュンというノルマル・スクールに通っている・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
出典:青空文庫