・・・彼は緒が短いためになお負けるような気がした。そして、緒の両端を持って引っぱるとそれが延びて、他人のと同じようになるだろうと思って、しきりに引っぱっているのだった。彼は牛の番をしながら、中央の柱に緒をかけ、その両端を握って、緒よ延びよとばかり・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・必ず負けるのである。相手の確信の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである。そうして私は沈黙する。しかし、だんだん考えてみると、相手の身勝手に気がつき、ただこっちばかりが悪いのではないのが確信せられて来るのだが、いちど言い負けたくせに・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・それだから、必ず試合には負けるのである。ほめた事ではない。私は気を取り直し、「とにかく立たないか。君に、言いたい事があるんだ。」 胸に、或る計画が浮かんだ。「怒ったのかね。仕様がねえなあ。弱い者いじめを始めるんじゃないだろうね。・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・そうしないと、誰かに嘘をついたような気がして、いやである。負けるような気がして、いやである。ばかな事と知りながら実行して、あとで劇烈な悔恨の腹痛に転輾する。なんにもならない。いくつになっても、同じ事を繰り返してばかりいるのである。こんどの旅・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・決して負けることがないのです。芸術映画は、退屈です。」と言って笑った。美しい意見である。利巧ぶったら、損をする。 映画と、小説とは、まるでちがうものだ。国技館の角力を見物して、まじめくさり、「何事も、芸の極致は同じであります。」などとい・・・ 太宰治 「弱者の糧」
・・・けれども私は、日本必勝を口にし、日本に味方するつもりでいた。負けるにきまっているものを、陰でこそこそ、負けるぞ負けるぞ、と自分ひとり知ってるような顔で囁いて歩いている人の顔も、あんまり高潔でない。 私はそのように「日本の味方」のつもりで・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・それならば、殿様が勝ち、家来が負けるというのは当然の事で、後でごたごたの起るべき筈は無いのであるが、やっぱり、大きい惨事が起ってしまった。殿様が、御自分の腕前に確乎不動の自信を持っていたならば、なんの異変も起らず、すべてが平和であったのかも・・・ 太宰治 「水仙」
・・・時々、一位決定戦を挑み、クラスの者たちは手に汗を握って観戦するという事になるのだが、どうしてもやはり忠五郎に負ける。慶四郎君は起き上り、チョッと言って片足で床板をとんと踏む。それが如何にも残念そうに見えた。その動作が二十幾年後の今になっても・・・ 太宰治 「雀」
・・・権勢慾、或いは人気とりの軽業に過ぎないのであって、言わせておいて黙っているうちに、自滅するものだ、太宰も、もうこれでおしまいか、忠告せざるべからず、と心配して下さる先輩もあるようであるが、しかも古来、負けるにきまっていると思われている所謂謀・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・靴磨が女の靴をみがきながら、片足を揚げた短いスカートの下から女の股間を窺くために、足台をだんだん高くさせたり、また、男と女とがカルタの勝負を試み、負ける度びに着ているものを一枚ずつぬいで行き、負けつづけた女が裸体になって、遂に危く腰のものま・・・ 永井荷風 「裸体談義」
出典:青空文庫