・・・綱利は甚太夫を賞するために、五十石の加増を命じた。兵衛は蚯蚓腫になった腕を撫でながら、悄々綱利の前を退いた。 それから三四日経ったある雨の夜、加納平太郎と云う同家中の侍が、西岸寺の塀外で暗打ちに遇った。平太郎は知行二百石の側役で、算筆に・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・まして川霧の下を筏の火が淡く燃えながら行く夜明方の空に、杜鵑が満川の詩思を叫んで去るという清絶爽絶の趣を賞することをやだ。 幸田露伴 「夜の隅田川」
・・・明治時代の都人は寛永寺の焼跡なる上野公園を以て春花秋月四時の風光を賞する勝地となし、或時はここに外国の貴賓を迎えて之を接待し、又折ある毎に勧業博覧会及其他の集会をここに開催した。此の風習は伝えられて昭和の今日に及んでいる。公園は之がために年・・・ 永井荷風 「上野」
・・・啻に花を賞するがためばかりではない。その実を採って、わたしは草稿の罫紙を摺る顔料となすからである。梔子の実の赤く熟して裂け破れんとする時はその年の冬も至日に近い時節になるのである。傾きやすき冬日の庭に塒を急ぐ小禽の声を聞きつつ梔子の実を摘み・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・しかし菓物の香気として昔から特に賞するのは柑類である。殊にこの香ばしい涼しい匂いは酸液から来る匂いであるから、酸味の強いものほど香気が高い。柚橙の如きはこれである。その他の一般の菓物は殆ど香気を持たぬ。○くだものの旨き部分 一個の菓物の・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・農民は今日の社会的事情にあっては、実った稲を見て、その美しさを賞するより先に、費された労力と迫っている懸引とのために覚えず歎息するのである。自然の山野はたしかに村のあちこちで美しいとしても、その美しさをそのままに感じ得ない事情にしばられてい・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
出典:青空文庫