・・・ずるくて汚くて慾が深くて、裏切って、ろくでも無いのが多いのだから、謂わばアイコとでも申すべきで、むしろ役人のほうは、その大半、幼にして学を好み、長ずるに及んで立志出郷、もっぱら六法全書の糞暗記に努め、質素倹約、友人にケチと言われても馬耳東風・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・まず、あいつを完全に征服し、あいつを遠慮深くて従順で質素で小食の女に変化させ、しかるのちにまた行進を続行する。いまのままだと、とにかく金がかかって、行進の続行が不可能だ。 勝負の秘訣。敵をして近づかしむべからず、敵に近づくべし。 彼・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・然りと雖も相互に於ける身分の貴賤、貧富の隔壁を超越仕り真に朋友としての交誼を親密ならしめ、しかも起居の礼を失わず談話の節を紊さず、質素を旨とし驕奢を排し、飲食もまた度に適して主客共に清雅の和楽を尽すものは、じつに茶道に如くはなかるべしと被存・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ 彼の日常生活はおそらく質素なものであろう。学者の中に折々見受けるような金銭に無関心な人ではないらしい。彼の著者の翻訳者には印税のかなりな分け前を要求して来るというような噂も聞いた。多くの日本人には多少変な感じもするが、ドイツ人という者・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・狭い階段をいくつも上っていちばん高い所にB君の質素な家庭があった。二間だけの住居らしい。食堂兼応接間のようなところへ案内された。細君は食卓に大きな笊をのせて青い莢隠元をむしっていた。 お茶を一杯よばれてから一緒に出かけて行った。とある町・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・下女も置かずに、質素と云うよりはむしろ極めて賤しい暮しをしていた。日本へ来ている外国人には珍しい下等な暮しをしていたが、しかし月給はかなり沢山に取っているという噂であった。日本へ来ているのは金をこしらえるためだから、なんでも出来るだけ倹約す・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・車の硝子窓から、印度や南清の殖民地で見るような質素な実利的な西洋館が街の両側に続いて見え出した。車の音が俄かに激しい。調子の合わない楽隊が再び聞える。乃ち銀座の大通を横切るのである。乗客の中には三人連の草鞋ばき菅笠の田舎ものまで交って、また・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・むかし待乳山の岡の下には一条の細い町があって両側に並んでいる店付の質素な商店の中には、今戸焼の陶器や川魚の佃煮を売る店があって、この辺一帯の町を如何にも名所らしく思わせていたが、今はセメントで固めた広い道路となってトラックが砂烟を立てて走っ・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・この炬燵櫓ぐらいの高さの風呂に入ってこの質素な寝台の上に寝て四十年間やかましい小言を吐き続けに吐いた顔はこれだなと思う。婆さんの淀みなき口上が電話口で横浜の人の挨拶を聞くように聞える。 宜しければ上りましょうと婆さんがいう。余はすでに倫・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・その時池辺君が帽を被らずに、草履のまま質素な服装をして柩の後に続いた姿を今見るように覚えている。余は生きた池辺君の最後の記念としてその姿を永久に深く頭の奥にしまっておかなければならなくなったかと思うと、その時言葉を交わさなかったのが、はなは・・・ 夏目漱石 「三山居士」
出典:青空文庫