・・・汝が嬰子はおっ死ぬべえぞ。赤痢さとッつかれただ」といった。他愛のない夢から一足飛びにこの恐ろしい現実に呼びさまされた彼れの心は、最初に彼れの顔を高笑いにくずそうとしたが、すぐ次ぎの瞬間に、彼れの顔の筋肉を一度気にひきしめてしまった。彼れ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ある年の夏その島の一つに赤痢が流行ったことがあった。近くの島だったので病人を入れるバラックの建つのがこちらからよく見えた。いつもなにかを燃している、その火が夜は気味悪く物凄かった。海で泳ぐものは一人もない。波の間に枕などが浮いていると恐ろし・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・からなる石の文理の尉姥鶴亀なんどのように見ゆるよしにて名高き高砂石といえるは、荒川のここの村に添いて流るるあたりの岸にありと聞きたれば、昼餉食べにとて立寄りたる家の老媼をとらえて問い質すに、この村今は赤痢にかかるもの多ければ、年若く壮んなる・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ぼくは幼年時、身体が弱くてジフテリヤや赤痢で二三度昏絶致しました。八つのとき『毛谷村六助』を買って貰ったのが、文学青年になりそめです。親爺はその頃妾を持っていたようです。いまぼくの愛しているお袋は男に脅迫されて箱根に駈落しました。お袋は新子・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 運動で鍛えた身体であったが、中年の頃赤痢にかかってから不断腸の工合が悪かった。留学中など始終これで苦しみ通していた。そのせいでもあるまいが当時ドイツの風俗、人情、学風に対する色々な不満を聞かされた記憶がある。しかし英国へ渡ってからは彼・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・虎列剌病博士とか腸窒扶斯博士とか赤痢博士とかもっと判然と領分を明らかにした方が善くはないかと思う。肺病患者が赤痢の論文を出して博士になった医者の所へ行ったって差支はないが、その人に博士たる名誉を与えたのは肺病とは没交渉の赤痢であって見れば、・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・これで赤痢にでも罹かれば全くともかくもの御蔭だ」「いいさ、僕が責任を持つから」「僕の病気の責任を持ったって、しようがないじゃないか。僕の代理に病気になれもしまい」「まあ、いいさ。僕が看病をして、僕が伝染して、本人の君は助けるよう・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・だが、赤痢ででもあるように、いくら掃除しても未だ何か気持の悪いものが後に残った。「こんな調子だと、善良な人民を監獄に入れて、罪人共を外に出さなけりゃ、取締りの法がつかない」と、「天神様」たちは思わない訳には行かなかった。 だが、青年・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ 二百疋の子供は百九十八疋まで蟻に連れて行かれたり、行衛不明になったり、赤痢にかかったりして死んでしまいました。 けれども子供らは、どれもあんまりお互いに似ていましたので、親ぐもはすぐ忘れてしまいました。 そして今はもう網はすば・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・ 何せこの犬ばかりは小十郎が四十の夏うち中みんな赤痢にかかってとうとう小十郎の息子とその妻も死んだ中にぴんぴんして生きていたのだ。 それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して熊の顎のとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
出典:青空文庫