・・・夢魂いつしか飛んで赴く処は鷹城のほとりなりけん、なつかしき人々の顔まざ/\と見ては驚く舷側の潮の音。ねがえりの耳に革鞄の仮枕いたずらに堅きも悲しく心細くわれながら浅猿しき事なり。残夢再びさむれば、もう神戸が見えますると隣りの女に告ぐるボーイ・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・そして、後進の興味の赴くところに従って、自由な発育を遂げさせなければならない。 十七 入歯をこしらえた。 何年来食ったことのなかった漬物などを、ばりばり音を立てて食うことが出来る。はなはだ不思議な心持がす・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・ わたくしは戦後人心の赴くところを観るにつけ、たまたま田舎の路傍に残された断碑を見て、その行末を思い、ここにこれを識した。時維昭和廿二年歳次丁亥臘月の某日である。 ○ 千葉街道の道端に茂っている八幡不知の藪・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・斯くの如き演奏は露西亜に赴くに非らざれば、欧洲に在っても容易に聴く機会なきものであろう。わたくしは演劇及オペラの如き芸術家の肉体と肉声とを必須となす芸術は、必其の作者と人種を同じくする者によって演ぜられる事を望んでいる。カルメンの完全なる演・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・わたくしは十余年前に浦安に赴く途上、初めて放水路をわたった時の荒凉たる風景を憶い浮べ、その眺望の全く一変したのに驚いて、再び眼を見張った。 堤防には船堀橋という長い橋がかけられている。その長さは永代橋の二倍ぐらいあるように思われる。橋は・・・ 永井荷風 「放水路」
向島は久しい以前から既に雅遊の地ではない。しかしわたくしは大正壬戌の年の夏森先生を喪ってから、毎年の忌辰にその墓を拝すべく弘福寺の墳苑に赴くので、一年に一回向島の堤を過らぬことはない。そのたびたびわたくしは河を隔てて浅草寺の塔尖を望み・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・混沌たる明治文明の赴くところは大正年間十五年の星霜を経由して遂にこの風俗を現出するに至ったものと看るより外はない。一たび考察をここに回らせば、世態批判の興味の勃然として湧来るを禁じ得ない。是僕をして新聞記者の中傷を顧みず泰然としてカッフェー・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・晩春五月の頃麗都の児女豪奢を競ってロンシャンの賽馬に赴く時、驟雨濺来って紅囲粉陣更に一段の雑沓を来すさま、巧にゾラが小説ナナの篇中に写し出されたりと記憶す。 紐育にては稀に夕立ふることあり。盛夏の一夕われハドソン河上の緑蔭を歩みし時驟雨・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・ 久しく別れた人たちに会おうとて、自分は高輪なる小波先生の文学会に赴くため始めて市中の電車に乗った。夕靄の中に暮れて行く外濠の景色を見尽して、内幸町から別の電車に乗換えた後も絶えず窓の外に眼を注いでいた。特徴のないしかも乱雑な人家つづき・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・この涼しき鈴の音が、わが肉体を貫いて、わが心を透して無限の幽境に赴くからは、身も魂も氷盤のごとく清く、雪甌のごとく冷かでなくてはならぬ。太織の夜具のなかなる余はいよいよ寒かった。 暁は高い欅の梢に鳴く烏で再度の夢を破られた。この烏はかあ・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
出典:青空文庫