・・・が、身震いを一つすると、ちょうど馬の嘶きに似た、気味の悪い声を残しながら、往来を罩めた黄塵の中へまっしぐらに走って行ってしまった。…… その後の半三郎はどうなったか? それは今日でも疑問である。もっとも「順天時報」の記者は当日の午後八時・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・階下の輪転機のまわり出す度にちょうど小蒸汽の船室のようにがたがた身震いをする二階である。まだ一高の生徒だった僕は寄宿舎の晩飯をすませた後、度たびこの二階へ遊びに行った。すると彼は硝子窓の下に人一倍細い頸を曲げながら、いつもトランプの運だめし・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・が、その血塊は身震いをすると、突然人間のように大声を挙げた。「おのれ、もう三月待てば、父の讐をとってやるものを!」 声は水牛の吼えるように薄暗い野原中に響き渡った。同時にまた一痕の残月も見る見る丘のかげに沈んでしまった。……… ・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・ 保吉は突然身震いをしながら、クッションの上に身を起した。今もまたトンネルを通り抜けた汽車は苦しそうに煙を吹きかけ吹きかけ、雨交りの風に戦ぎ渡った青芒の山峡を走っている。…… ――――――――――――――――――――・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・ 白は思わず身震いをしました。この声は白の心の中へ、あの恐ろしい黒の最後をもう一度はっきり浮ばせたのです。白は目をつぶったまま、元来た方へ逃げ出そうとしました。けれどもそれは言葉通り、ほんの一瞬の間のことです。白は凄じい唸り声を洩らすと・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・のみならずその犬は身震いをすると、忽ち一人の騎士に変り、丁寧にファウストにお時宜をした。―― なぜファウストは悪魔に出会ったか?――それは前に書いた通りである。しかし悪魔に出会ったことはファウストの悲劇の五幕目ではない。或寒さの厳しい夕・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・何とも云いようのない、――わたしはあの眼を思い出すと、今でも身震いが出ずにはいられません。口さえ一言も利けない夫は、その刹那の眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかしそこに閃いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを蔑ん・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・ とわなわなと身震いする。濡れた肩を絞って、雫の垂るのが、蓴菜に似た血のかたまりの、いまも流るるようである。 尖った嘴は、疣立って、なお蒼い。「いたましげなや――何としてなあ。対手はどこの何ものじゃの。」「畜生!人間。」・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ お貞は、深夜幽霊の名を聞きて、ちりけもとより寒さを感じつ。身震いしながら、少しく居寄りて、燈心の火を掻立てたり。「そんなに身体を弱らせてどうしようという了簡なんか。うむ、お貞。」 根深く問うに包みおおせず、お貞はいとも小さき声・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・今まで嚔を堪えたように、むずむずと身震いを一つすると、固くなっていた卓子の前から、早くもがらりと体を砕いて、飛上るように衝と腰を軽く、突然ひょいと隣のおでん屋へ入って、煮込を一串引攫う。 こいつを、フッフッと吹きながら、すぺりと古道具屋・・・ 泉鏡花 「露肆」
出典:青空文庫