これは自分より二三年前に、大学の史学科を卒業した本間さんの話である。本間さんが維新史に関する、二三興味ある論文の著者だと云う事は、知っている人も多いであろう。僕は昨年の冬鎌倉へ転居する、丁度一週間ばかり前に、本間さんと一し・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・私も起って行って見たが、全く何処にも見えない、奇妙な事もあるものだと思ったが、何だか、嫌な気持のするので、何処までも確めてやろうと段々考えてみると、元来この手桶というは、私共が転居して来た時、裏の家主で貸してくれたものだから、もしやと思って・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・ 本所を引払って、高等学校の先きの庭の広いので有名な奥井という下宿屋の離れに転居した頃までは緑雨はマダ紳士の格式を落さないで相当な贅をいっていた。丁度上田万年博士が帰朝したてで、飛白の羽織に鳥打帽という書生風で度々遊びに来ていた。緑雨は・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・しかし私には無代価で送ってもらっているということが、わざ/\ハガキを本社に出して転居を報ずるのを差し控えさせた。何となればそうするのがあまり厚顔しいように感じられたからであった。たゞ私はどうかしてこのことだけを配達夫に知らせたいと思った。・・・ 小川未明 「ある日の午後」
・・・、細君は常に夫の無情を恨んで、口惜い口惜いといって遂に死んだ、その細君が、何時も不断着に鼠地の縞物のお召縮緬の衣服を着て紫繻子の帯を〆めていたと云うことを聞込んだから、私も尚更、いやな気が起って早々に転居してしまった。その後其家は如何なった・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・私が昭和五年に弘前の高等学校を卒業して大学へはいり、東京に住むようになってから今まで、いったい何度、転居したろう。その転居も、決して普通の形式ではなかった。私はたいてい全部を失い、身一つでのがれ去り、あらたにまた別の土地で、少しずつ身のまわ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・たいてい、こんな、机の引出しなんかへ容れっ放しにして置くので、大掃除や転居の度毎に少しずつ散逸して、残っているのは、ごくわずかになってしまいました。先日、家内が、その残っているわずかな写真を整理して、こんなアルバムを作って、はじめは私も、大・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・区役所へ出す転居届の書き方も分らなければ、地面を売るにはどんな手続をしていいかさえ分らない。綿は綿の木のどんな所をどうして拵えるかも解し得ない。玉子豆腐はどうしてできるかこれまた不明である。食うことは知っているが拵える事は全く知らない。その・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・それだからというて別に彼らを慰めてやる方法もないので困って居た所が、この正月に碧梧桐が近所へ転居して来たので、その妻君や姉君が時々見舞われるのは、内の女どもにとりてはこの上もない慰みになるようになった。殊に三月の末であったか、碧梧桐一家の人・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 中一年おいて、仲平夫婦は一時上邸の長屋に入っていて、番町袖振坂に転居した。その冬お佐代さんが三十三で二人目の男子謙助を生んだ。しかし乳が少いので、それを雑司谷の名主方へ里子にやった。謙介は成長してから父に似た異相の男になったが、後日安・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫