・・・――さっきから月を眺めて月を眺めないお君さんが、風に煽られた海のごとく、あるいはまた将に走らんとする乗合自動車のモオタアのごとく、轟く胸の中に描いているのは、実にこの来るべき不可思議の世界の幻であった。そこには薔薇の花の咲き乱れた路に、養殖・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・ 一言あたかも百雷耳に轟く心地。「おお、もう駒を並べましたね、あいかわらず性急ね、さあ、貴下から。」 立花はあたかも死せるがごとし。「私からはじめますか、立花さん……立花さん……」 正にこの声、確にその人、我が年紀十四の・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 心は轟く、脉は鳴る、酒の酔を円タクに蒸されて、汗ばんだのを、車を下りてから一度夜風にあたった。息もつかず、もうもうと四面の壁の息を吸って昇るのが草いきれに包まれながら、性の知れない、魔ものの胴中を、くり抜きに、うろついている心地がする・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・汽車は轟く。街樹は流るる。「誰の麁そそうじゃい。」 と赤ら顔はいよいよ赤くなって、例の白目で、じろり、と一ツずつ、女と、男とを見た。 彼は仰向けに目を瞑った。瞼を掛けて、朱を灌ぐ、――二合壜は、帽子とともに倒れていた――そして、・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ と波を打って轟く胸に、この停車場は、大なる船の甲板の廻るように、舳を明神の森に向けた。 手に取るばかりなお近い。「なぞえに低くなった、あそこが明神坂だな。」 その右側の露路の突当りの家で。…… ――死のうとした日の朝―・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・風落ちたれど波なお高く沖は雷の轟くようなる音し磯打つ波砕けて飛沫雨のごとし。人々荒跡を見廻るうち小舟一艘岩の上に打上げられてなかば砕けしまま残れるを見出しぬ。「誰の舟ぞ」問屋の主人らしき男問う。「源叔父の舟にまぎれなし」若者の一人答・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・打ちよせ 打ち返し轟く永遠の動きは鈍痲し易い人間の、脳細胞を作りなおすまいか。幸運のアフロディテ水沫から生れたアフロディテ!自ら生得の痴愚にあき人生の疲れを予感した末世の女人にはお身の歓びは 分ち与えられないのだ・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・とん とん、と、胸に轟くこの響が、あれ等の裡に聴えましょうか。迫り、泣かせ、圧倒するリズムがあれから浸透して来ますか?ああ、私の望むもの、私の愛すもの其は、我裡からのみ湧き立って来るものだ。静に燃え、忽ちぱっとを・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・ 社会主義ソヴェト、万歳 メー・デー万歳 ウラーアァ 轟く歓呼の声の下で、動き出したぞ!「インターナショナル」の一際高い奏楽といっしょに、先ず先頭の赤旗が広場へ向って静かに繰り出した。 続いて、あっちの門からも! 合・・・ 宮本百合子 「勝利したプロレタリアのメーデー」
・・・ 臥て居た間自分の心に最も屡々現れた民族的蜃気楼は林籟に合わせ轟く日本の海辺の波と潮の香、日向の砂のぽかぽかしたぬくもりとこの素麺とであった。 勿論我々のトランクの中に そのデリケートにして白い東方の食料品は入れられてない。自分は青・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
出典:青空文庫