・・・ ああ僕は辞職しよう。それからあしたから百日、ばけものの大学校の掃除をしよう。ああ、何もかにもおしまいだ。」 ネネムは思わず泣きました。三十人の部下も一緒に大声で泣きました。その声はノンノンノンノンと地面に波をたて、それが向うのサン・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・の記事の傍らに見るものは、連日連夜にわたる幣原、三土、楢橋の政権居据りのための右往左往と、それに対する現内閣退陣要求の輿論の刻々の高まり、さらにその国民の輿論に対して、楢橋書記翰長は「院外運動などで総辞職しない」「再解散させても思う通りにす・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・んだこの公判の期間をとおして、一九四三年一月スターリングラードにおいて死守の命令をうけたナチス軍が消息を絶ったというニュース、反ファシスト軍がイタリアのシチリア島に上陸して戦果をおさめ、ムッソリーニが辞職したニュース、イタリアの降伏などはま・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 熟考の後、ロザリーの書いたのは、辞職届でした。彼女は比類のない婦人事務家としてフィールド銀行に持っていた地位を惜しげもなくすて、子供達を自分で見て行く決心をしたのです。彼女は、女性の理屈のない執着強さ、一つものを見始めると傍を見られな・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
・・・しかもその少部分のセメントが、どんな風につかわれているかといえば、一番ひどい例は、先頃問題となって辞職した現内閣閣僚の一人であったひとが、自分のうちの子供のためにコンクリート建十坪の天文台をこしらえているというような実例さえあります。私たち・・・ 宮本百合子 「婦人大会にお集りの皆様へ」
・・・この年藩政が気に入らぬので辞職した。しかし相談中をやめられて、用人格というものになっただけで、勤め向きは前の通りであった。五十七のとき蝦夷開拓論をした。六十三のとき藩主に願って隠居した。井伊閣老が桜田見附で遭難せられ、景山公が亡くなられた年・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫