・・・これは山里村居つきの農夫、憐みの深いじょあん孫七は、とうにこの童女の額へ、ばぷちずものおん水を注いだ上、まりやと云う名を与えていた。おぎんは釈迦が生まれた時、天と地とを指しながら、「天上天下唯我独尊」と獅子吼した事などは信じていない。その代・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・するとたちまち道ばたに農夫の子らしい童児が一人、円い石を枕にしたまま、すやすや寝ているのを発見した。加藤清正は笠の下から、じっとその童児へ目を落した。「この小倅は異相をしている。」 鬼上官は二言と云わずに枕の石を蹴はずした。が、不思・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・王子のほかにも客が七八人、――これは皆村の農夫らしい。宿屋の主人 いよいよ王女の御婚礼があるそうだね。第一の農夫 そう云う話だ。なんでも御壻になる人は、黒ん坊の王様だと云うじゃないか?第二の農夫 しかし王女はあの王様が大嫌い・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・そして一か所、作物の殻を焼く煙が重く立ち昇り、ここかしこには暗い影になって一人二人の農夫がまだ働き続けていた。彼は小作小屋の前を通るごとに、気をつけて中をのぞいて見た。何処の小屋にも灯はともされずに、鍋の下の囲炉裡火だけが、言葉どおりかすか・・・ 有島武郎 「親子」
・・・戸を開けて中に這入ると馬車追いを内職にする若い農夫が三人土間に焚火をしてあたっていた。馬車追いをする位の農夫は農夫の中でも冒険的な気の荒い手合だった。彼らは顔にあたる焚火のほてりを手や足を挙げて防ぎながら、長雨につけこんで村に這入って来た博・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 私が曾て、逗子に居た時分その魔がさしたと云う事について、こう云う事がある、丁度秋の中旬だった、当時田舎屋を借りて、家内と婢女と三人で居たが、家主はつい裏の農夫であった。或晩私は背戸の据風呂から上って、椽側を通って、直ぐ傍の茶の間に居る・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・といいてデンマークの農夫らは彼に迫りました。あたかもエジプトより遁れ出でしイスラエルの民が一部の失敗のゆえをもってモーセを責めたと同然でありました。しかし神はモーセの祈願を聴きたまいしがごとくにダルガスの心の叫びをも聴きたまいました。黙示は・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ 彼らの借りている家の大家というのは、この土地に住みついた農夫の一人だった。夫婦はこの大家から親しまれた。時どき彼らは日向や土の匂いのするようなそこの子を連れて来て家で遊ばせた。彼も家の出入には、苗床が囲ってあったりする大家の前庭を近道・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・村に近づくにつれて農夫ら多く野にあるを見たり。静けき村なるかな。小児の群れの嬉戯せるにあいぬ。馬高くいななくを聞きぬ。されど一村寂然たり。われは古き物語の村に入るがごとき心地せり。若者一個庭前にて何事をかなしつつあるを見る。礫多き路に沿いた・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・あらず、あらず、ただ見るいつもいつも、物いわぬ、笑わざる、歌わざる漢子の、農夫とも漁人とも見分けがたきが淋しげに櫓あやつるのみ。 鍬かたげし農夫の影の、橋とともに朧ろにこれに映つる、かの舟、音もなくこれを掻き乱しゆく、見る間に、舟は葦が・・・ 国木田独歩 「たき火」
出典:青空文庫