・・・稲つけばかがる我が手を今宵もか殿のわくごがとりて嘆かな これは万葉時代の一農家の娘の恋の溜息である。如何にせんとも死なめと云ひて寄る妹にかそかに白粉にほふ これは大正時代の、病篤き一貧窮青年の死線の上での恋の・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ある一人の女が婉曲に、自分もその村へ買い出しに行こうと思うが売って呉れるだろうかとS女にたずねてみた。農家は米は持っているのだが、今年の稲が穂に出て確かにとれる見込みがつくまで手離さないという返事である。なにしろ田地持ちが外米を買って露命を・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・ 丘の中ほどのある農家の前に、一台の橇が乗り捨てられていた。客間と食堂とを兼ねている部屋からは、いかにも下手でぞんざいな日本人のロシア語がもれて来た。「寒いね、……お前さん、這入ってらっしゃい。」 入口の扉が開いて、踵の低い靴を・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・私は郷里のほうに売り物に出た一軒の農家を太郎のために買い取ったからである。それを峠の上から村の中央にある私たちの旧家の跡に移し、前の年あたりから大工を入れ、新しい工事を始めさせていた。太郎もすでに四年の耕作の見習いを終わり、雇い入れた一人の・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・いずれも農家の子弟だ。その家の一間を借りて高瀬はさしあたり腰掛に荷物を解き、食事だけは先生の家族と一緒にすることにした。横手の木戸を押して、先生は自分の屋敷の裏庭の方へ高瀬を誘った。 先生の周囲は半ば農家のさまだった。裏庭には田舎風な物・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ その他、 農家。絵本。秋ト兵隊。秋ノ蚕。火事。ケムリ。オ寺。 ごたごた一ぱい書かれてある。 太宰治 「ア、秋」
・・・あなたがこれまで東京に永くいらっしゃったと言っても、やはりこの土地の生れなのですから、このへんの農家の構造はご存じでしょう。土間へはいると、左手は馬小屋で、右手は居間と台所兼用の板敷の部屋で大きい炉なんかあって、まあ、圭吾の家もだいたいあれ・・・ 太宰治 「嘘」
・・・ 田舎道を歩いていると道わきの農家の納屋の二階のような所から、この綿弓の弦の音が聞こえてくることがあった。それがやはり四拍子の節奏で「パン/\/\ヤ」というふうに響くのであった。おそらく今ではもうどこへ行ってもめったに聞かれない田園・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・小作人らに一々アローと声をかけて、一言二言話していました。農家の建て方など古い昔のままだそうです。 屋敷の入り口から玄関までは橡の並み木がつづいています。その両わきはりんご畑でちょうどりんごが赤く熟していました。書斎にはローマで買って来・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・せんで竹の皮をむき、ふしの外のでっぱりをけずり、内側のかたい厚みをけずり、それから穴をあけて、柄をつけると、ぶかっこうながら丈夫な、南九州の農家などでよくつかっている竹びしゃくが出来あがる。朝めし前からかかって、日に四十本をつくるのだが、こ・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫