・・・』私『何んでも旧幕の修好使がヴルヴァルを歩いているのを見て、あの口の悪いメリメと云うやつは、側にいたデュマか誰かに「おい、誰が一体日本人をあんな途方もなく長い刀に縛りつけたのだろう。」と云ったそうだぜ。君なんぞは気をつけないと、すぐにメリメ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・が、我々人間の心はこういう危機一髪の際にも途方もないことを考えるものです。僕は「あっ」と思う拍子にあの上高地の温泉宿のそばに「河童橋」という橋があるのを思い出しました。それから、――それから先のことは覚えていません。僕はただ目の前に稲妻に似・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ と、きっぱりと、投上げるように、ご新姐が返事をすると、(あああ、銭 と、また途方もない声をして、階子段一杯に、大な男が、褌を真正面に顕われる。続いて、足早に刻んで下りたのは、政治狂の黒い猿股です。ぎしぎしと音がして、青黄色・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 途方もない、乱暴な小僧ッ児の癖に、失礼な、末恐しい、見下げ果てた、何の生意気なことをいったって私が家に今でもある、アノ籐で編んだ茶台はどうだい、嬰児が這ってあるいて玩弄にして、チュッチュッ噛んで吸った歯形がついて残ッてら。叱り倒してと・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ 嫂の話で大方は判ったけれど、僕もどうしてよいやら殆ど途方にくれた。母はもう半気違いだ。何しろここでは母の心を静めるのが第一とは思ったけれど、慰めようがない。僕だっていっそ気違いになってしまったらと思った位だから、母を慰めるほどの気力は・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 尤もその頃は今のような途方もない画料を払うものはなかった。随って相場をする根性で描く画家も、株を買う了簡で描いてもらう依頼者もなかった。時勢が違うので強ち直ちに気品の問題とする事は出来ないが、当時の文人や画家は今の小説家や美術家よりも・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・と思って、物に追われて途方に暮れた獣のように、夢中で草原を駆けた時の喜は、いつか消えてしまって、自分の上を吹いて通る、これまで覚えた事のない、冷たい風がそれに代ったのである。なんだか女学生が、今死んでいるあたりから、冷たい息が通って来て、自・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ ほとんど途方に暮れてしまって、少年は、ある道の四つ筋に分かれたところに立っていました。そこは、町を出つくしてしまって、広々とした圃の中になっていました。そして、どの道を歩いていっても、その方には、黒い森があり、青々とした圃があり、遠い・・・ 小川未明 「石をのせた車」
・・・ 女は、どちらへいっていいか、まったくわからずに途方にくれてしまった。「俺は、長い間、どんなにおまえを待ったかしれない。」と、第一の夫がいいました。「私は、いちばん最後におまえと別れたのだ。おまえは私といっしょに、あの世へゆくの・・・ 小川未明 「ちょうと三つの石」
・・・ 私は途方に晦れながら、それでもブラブラと当もなしに町を歩いた。町外れの海に臨んだ突端しに、名高い八幡宮がある。そこの高い石段を登って、有名なここの眺望にも対してみた。切立った崖の下からすぐ海峡を隔てて、青々とした向うの国を望んだ眺めは・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫