・・・早慶戦のあった金曜日の夕方例によって友人と新宿の某食堂で逢って連句をやろうと思っていると、○大学の学生が大勢押しかけて来て、ビールを飲んで卓を叩いて校歌を唄い出した。喧騒の声が地下室に充ちて向き合っての話声も聞取れなくなった。「一体勝って騒・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・またいわゆる俳諧連句と称するものが、このモンタージュの芸術を極度に進歩させたものであるとも考えられるのである。そうしてまたこのモンテーという言葉自身が暗示するように、たとえば日本の生花の芸術やまた造庭の芸術でも、やはりいろいろのものを取り合・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
一 連句の独自性 日本アジア協会学報第二集第三巻にエー・ネヴィル・ホワイマント氏の「日本語および国民の南洋起原説」という論文が出ている。これはこの表題の示すごとく、日本国語の根源が南洋にある事を論証し、従っ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・また、古びた徐園の廻廊に懸けられた聯句の書体。薄暗いその中庭に咲いている秋花のさびしさ。また劇場や茶館の連った四馬路の賑い。それらを見るに及んで、異国の色彩に対する感激はますます烈しくなった。 大正二年革命の起ってより、支那人は清朝二百・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・後年に至って、わたくしは大田南畝がその子淑を伴い御薬園の梅花を見て聯句を作った文をよんだ時、小田原城址の落梅を見たこの日の事を思出して言知れぬ興味を覚えた。 父は病院に立戻ると間もなく、その日もまだ暮れかけぬ中、急いで東京に帰られた。わ・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・芭蕉は記実的ならずとてそを悪く言いたる例も聞かず。芭蕉は連句において宇宙を網羅し古今を翻弄せんとしたるにも似ず、俳句にはきわめて卑怯なりしなり。 蕪村の理想を尚ぶはその句を見て知るべしといえども、彼がかつて召波に教えたりという彼の自記は・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・枯枝に烏のとまりけり秋の暮塚も動け我泣声は秋の風あか/\と日は難面もあきの風旅にやんで夢は枯野をかけ廻る 連句のなかにもまた独特な感覚がある。例えば、このごろの上下の衆のもどらるゝ 去来・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫