・・・ある仏蘭西のジェスウイットによれば、天性奸智に富んだ釈迦は、支那各地を遊歴しながら、阿弥陀と称する仏の道を説いた。その後また日本の国へも、やはり同じ道を教に来た。釈迦の説いた教によれば、我々人間の霊魂は、その罪の軽重深浅に従い、あるいは小鳥・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・が、さて遊歴の途に上ってみると、何かと行く所も多いものですから、容易に潤州の張氏の家を訪れる暇がありません。私は翁の書を袖にしたなり、とうとう子規が啼くようになるまで、秋山を尋ねずにしまいました。 その内にふと耳にはいったのは、貴戚の王・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・それは旅中で知合になった遊歴者、その時分は折節そういう人があったもので、律詩の一、二章も座上で作ることが出来て、ちょっと米法山水や懐素くさい草書で白ぶすまを汚せる位の器用さを持ったのを資本に、旅から旅を先生顔で渡りあるく人物に教えられたから・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ 蕪村は総常両毛奥羽など遊歴せしかども紀行なるものを作らず。またその地に関する俳句も多からず。西帰の後丹後におること三年、因って谷口氏を改めて与謝とす。彼は讃州に遊びしこともありけん、句集に見えたり。また厳島の句あるを見るにこの地の風情・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫