・・・銘仙の絣の単衣は、家内の亡父の遺品である。着て歩くと裾がさらさらして、いい気持だ。この着物を着て、遊びに出掛けると、不思議に必ず雨が降るのである。亡父の戒めかも知れない。洪水にさえ見舞われた。一度は、南伊豆。もう一度は、富士吉田で、私は大水・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・ お絹に、遺品として蛇を貰ったところと、お里の家へ忍び込む気になったところまで、感情の連絡に乏しい感じはなかったろうか。 私の心持から見ると、此「両国の秋」と云う芝居は脚本の根本に、何かお絹なりお君なりを、充分活かし切らないものがあ・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・を文化にもたらす組織として成立し、事業を物故文芸家慰霊祭、遺品展覧会、昨年度優秀文学作品表彰、機関誌『文芸懇話会』の発行とした。そして昭和九年度の文芸懇話会賞は会員である横光利一氏の「紋章」と室生犀星氏の「兄いもうと」におくられたのであった・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・また彼は美術史家のように、ただ古美術の遺品をのみ目ざして旅行するのでもない。彼は美しいものには何ものにも直ちに心を開く自由な旅行者として、たとえば異郷の舗道、停車場の物売り場、肉饅頭、焙鶏、星影、蜜柑、車中の外国人、楡の疎林、平遠蒼茫たる地・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・この時期にはガンダーラ地方からアフガニスタンにかけての全域に塑像が栄えたので、特にアフガニスタンのハッダなどからすばらしい遺品を出している。シナへのガンダーラ美術の影響を考えるとすれば、芸術的にあまり優れていると言えない初期の石像彫刻によっ・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫