・・・とあたかも軍令部長か参謀総長でもあるかのようなプライドが満面に漲っていた。恐らくこの歓喜を一人で味ってられないで、周章てて飛んで来たのであろう。九 二葉亭の破壊力 二葉亭に親近した或る男はいった。「二葉亭は破壊者であって、人・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・とうとう探しくたびれてしまったところ、ちょうどそのころ今里保育園の仕事に関係していた弘済会の保育部長の田所さんがこの話を聴いて、――というのは、谷口さんも当時今里保育園の仕事に関係していて田所さんと親しかったので、――これは警察に探してもら・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ お前はすぐ紋附袴で新聞社へかけつけ、「――広告部長を呼べ!」 そして広告部長が出て来ると、「――おれの広告のどこがわるい? お前なぞおれの一言で直ぐ馘首になるんだぞ。おれはお前の新聞に年に八万円払ってるんだ。社長を呼べ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・題を決めるのに一日、構想を考えるのに一日、たのまれてから書き出すまでに二日しか費さなかったぐらいだから、安易な態度ではじめたのだが、八九回書き出してから、文化部長から、通俗小説に持って行こうとする調子が見えるのはいかん、調子を下すなと言われ・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・一隊は三人で、先頭の看守がガチャン/\と扉を開けてゆくと、次の部長が独房の中を覗きこんで、点検簿と引き合せて、「六十三番」 と呼ぶ。 殿りの看守がそれをガチャン/\閉めて行く。 七時半になると「ごはんの用――意!」と、向う端・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ いつか、柳田という、れいの抜け目の無い、自分で自分の顔の表情を鏡を見なくても常に的確に感知できると誇称している友人、兼、編輯部長に連れられて、新橋駅のすぐ近くの川端に建って在るおでん屋へ飲みに行きました。そこもまた、屋台には違い無いの・・・ 太宰治 「女類」
・・・父が四十で浦和の学務部長をしていたときに私が生れて、あとにも先にも、子供といえば私ひとりだったので、父にも母にも、また周囲の者たちにも、ずいぶん大事にされました。自分では、気の弱い淋しがりの不憫の子のつもりでいたのですが、いま考えてみると、・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・わかい巡査部長の号令に従って、皆はいっせいに腰から補縄を出したり、呼笛を吹きならしたりするのであった。俺はその風景を眺め、巡査ひとりひとりの家について考えた。 私たちは山の温泉場であてのない祝言をした。母はしじゅうくつくつと笑ってい・・・ 太宰治 「葉」
・・・晩年大学蹴球部の部長をつとめていたが、部の学生達は君を名づけて「オヤジ」と云っていた。部内の世話は勿論、部員学生の一身上の心配までした。 鉄腸居士を父とし、天台道士を師とし、木堂翁に私淑していたかと思われる末広君には一面気鋒の鋭い点があ・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・それからもう一枚哲学部長の署名のあるこれもラテン語の入学免状を貰った。 式の前であったか後であったか忘れたが、大学の玄関をはいって右側の事務室でいろいろの入学手続をすませた。東京帝国大学の卒業証書も検閲のために差出したが、この日本文は事・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
出典:青空文庫