・・・ったような両国橋の欄干が、仲秋のかすかな夕明りを揺かしている川波の空に、一反り反った一文字を黒々とひき渡して、その上を通る車馬の影が、早くも水靄にぼやけた中には、目まぐるしく行き交う提灯ばかりが、もう鬼灯ほどの小ささに点々と赤く動いていまし・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・基線道路と名づけられた場内の公道だったけれども畦道をやや広くしたくらいのもので、畑から抛り出された石ころの間なぞに、酸漿の実が赤くなってぶら下がったり、轍にかけられた蕗の葉がどす黒く破れて泥にまみれたりしていた。彼は野生になったティモシーの・・・ 有島武郎 「親子」
・・・丹波鬼灯、海酸漿は手水鉢の傍、大きな百日紅の樹の下に風船屋などと、よき所に陣を敷いたが、鳥居外のは、気まぐれに山から出て来た、もの売で。―― 売るのは果もの類。桃は遅い。小さな梨、粒林檎、栗は生のまま……うでたのは、甘藷とともに店が違う・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 堂とは一町ばかり間をおいた、この樹の許から、桜草、菫、山吹、植木屋の路を開き初めて、長閑に春めく蝶々簪、娘たちの宵出の姿。酸漿屋の店から灯が点れて、絵草紙屋、小間物店の、夜の錦に、紅を織り込む賑となった。 が、引続いた火沙汰のため・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・末法の凡俳は、咽喉までも行かない、唇に触れたら酸漿の核ともならず、溶けちまおう。 ついでに、おかしな話がある。六七人と銑吉がこの近所の名代の天麸羅で、したたかに食い且つ飲んで、腹こなしに、ぞろぞろと歩行出して、つい梅水の長く続いた黒塀に・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・晩年には益々昂じて舶来の織出し模様の敷布を買って来て、中央に穴を明けてスッポリ被り、左右の腕に垂れた個処を袖形に裁って縫いつけ、恰で酸漿のお化けのような服装をしていた事があった。この服装が一番似合うと大に得意になって写真まで撮った。服部長八・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 盆が来て、みそ萩や酸漿で精霊棚を飾るころには、私は子供らの母親の位牌を旅の鞄の中から取り出した。宿屋ずまいする私たちも門口に出て、宿の人たちと一緒に麻幹を焚いた。私たちは順に迎え火の消えた跡をまたいだ。すると、次郎はみんなの見ている前・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・白い紙に、元禄時代の女のひとが行儀わるく坐り崩れて、その傍に、青い酸漿が二つ書き添えられて在る。この扇子から、去年の夏が、ふうと煙みたいに立ちのぼる。山形の生活、汽車の中、浴衣、西瓜、川、蝉、風鈴。急に、これを持って汽車に乗りたくなってしま・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・「それが目は酸漿なして」とあるのは、熔岩流の末端の裂罅から内部の灼熱部が隠見する状況の記述にふさわしい。「身一つに頭八つ尾八つあり」は熔岩流が山の谷や沢を求めて合流あるいは分流するさまを暗示する。「またその身に蘿また檜榲生い」というのは熔岩・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
・・・赤賤家這入せばめて物ううる畑のめぐりのほほづきの色 この歌は酸漿を主として詠みし歌なれば一、二、三、四の句皆一気呵成的にものせざるべからず。しかるにこの歌の上半は趣向も混雑しかつ「せばめて」などいう曲折せる語もあ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫