・・・葬儀は遺言だそうで営まなかったが、緑雨の一番古い友達の野崎左文と一番新らしい親友の馬場孤蝶との肝煎で、駒込の菩提所で告別式を行った。緑雨の竹馬の友たる上田博士も緑雨の第一の知己なる坪内博士も参列し、緑雨の最も莫逆を許した幸田露伴が最も悲痛な・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・習いはじめて一年目には土地の天狗番付に針の先で書いたような字で名前が出て、間もなく登勢が女の子を生んだ時は、お、お、お光があってお染がなかったら、の、の、野崎村になれへんさかいにと、子供の名をお染にするというくらいの凝り方で、千代のことは鶴・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ また此外に矢張りこれも同級の男で野崎というのがありましたが、此野崎の家は明神前で袋物などをも商う傍、貸本屋を渡世にして居ました。ところが此処は朝夕学校への通り道でしたから毎日のように遊びに寄って、種々の読本の類を引ずり出しては、其絵を・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ これは後に知ったことであるが、仮名垣魯文の門人であった野崎左文の地理書に委しく記載されているとおり、下総の国栗原郡勝鹿というところに瓊杵神という神が祀られ、その土地から甘酒のような泉が湧き、いかなる旱天にも涸れたことがないというのであ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫