・・・都ホテルや京都ホテルで嗅いだ男のポマードの匂いよりも、野暮天で糞真面目ゆえ「お寺さん」で通っている醜男の寺田に作ってやる味噌汁の匂いの方が、貧しかった実家の破れ障子をふと想い出させるような沁々した幼心のなつかしさだと、一代も一皮剥げば古い女・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・とそれからさわりで行くところだが、あの時はどうしてあの時分はあんなに野暮天だったろう。 浜を誰か唸って通る。あの節廻しは吉次だ。彼奴声は全たく美いよ。 五月十日 外から帰たのが三時頃であった。妻は突伏して泣いている。「どうし・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ けれども私は東京に出てから十年の間、いろいろな苦労をしたに似ず、やはり持って生まれた性質と見えまして、烈しいこともできず、烈しい言葉すらあまり使わず、見たところ女などには近よることもできない野暮天に見えますので、大工の藤吉が唐偏木で女・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・からだごと、ぶっつけて行くより、てを知らなかった。野暮天である。一宿一飯の恩義などという固苦しい道徳に悪くこだわって、やり切れなくなり、逆にやけくそに破廉恥ばかり働く類である。私は厳しい保守的な家に育った。借銭は、最悪の罪であった。借銭から・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・人間は死期が近づくにつれて、どんなに俗な野暮天でも、奇妙に、詩というものに心をひかれて来るものらしい。辞世の歌とか俳句とかいうものを、高利貸でも大臣でも、とかくよみたがるようではないか。 鶴は、浮かぬ顔して、首を振り、胸のポケットから手・・・ 太宰治 「犯人」
出典:青空文庫