・・・この様を見たる喜左衛門は一時の怒に我を忘れ、この野郎、何をしやがったと罵りけるが、たちまち御前なりしに心づき、冷汗背を沾すと共に、蹲踞してお手打ちを待ち居りしに、上様には大きに笑わせられ、予の誤じゃ、ゆるせと御意あり。なお喜左衛門の忠直なる・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・「莫迦野郎! おれたちは死ぬのが役目じゃないか?」 その時もう白襷隊は、河原の向うへ上っていた。そこには泥を塗り固めた、支那人の民家が七八軒、ひっそりと暁を迎えている、――その家々の屋根の上には、石油色に襞をなぞった、寒い茶褐色の松・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 昨夕もよ、空腹を抱えて対岸のアレシキに行って見るとダビドカの野郎に遇った。懐をあたるとあるから貸せと云ったら渋ってけっかる。いまいましい、腕づくでもぎ取ってくれようとすると「オオ神様泥棒が」って、殉教者の様な真似をしやあがる。擦った揉・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・そうしたら、九頭竜の野郎、それは耳よりなお話ですから、私もひとつ損得を捨てて乗らないものでもありませんが、それほど先生がたがおほめになるもんなら、展覧会の案内書に先生がたから一言ずつでもお言葉を頂戴することにしたらどんなものでしょうといやが・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・「これ、この合羽占地茸はな、野郎の鼻毛が伸びたのじゃぞいな。」 戻道。橋で、ぐるりと私たちを取巻いたのは、あまのじゃくを訛ったか、「じゃあま。」と言い、「おんじゃ。」と称え、「阿婆。」と呼ばるる、浜方屈竟の阿婆摺媽々。町を一なめにす・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・いえ、自慢じゃありませんがね、昨夜ッから申す通り、野郎図体は不器用でも、勝奴ぐらいにゃ確に使えます。剃刀を持たしちゃ確です。――秦君、ちょっと奥へ行って、剃刀を借りて来たまえ。」 宗吉は、お千さんの、湯にだけは密と行っても、床屋へは行け・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 省作がそりゃあんまりだ、藤吉の野郎や五郎助といっしょにするのはひどい、というのを耳にもとめずに台所の方へいってしまった。 冷ややかな空気に触れ、つめたい井戸水に顔を洗って、省作もようやく生気づいた。いくらかからだがしっかりしてきは・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・いやな野郎がきやがったなと思うていると、「や政夫さん。コンチャどうも結構なお天気ですな。今日は御夫婦で棉採りかな。洒落れてますね。アハハハハハ」「オウ常さん、今日は駄賃かな。大変早く御精が出ますね」「ハア吾々なんざア駄賃取りでも・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「あの青木の野郎、今度来たら十分言ってやらにゃア」と、お貞が受けて、「借金が返せないもんだから、うちへ来ないで、こそこそとほかでぬすみ喰いをしゃアがる!」 子供はふたりとも吹き出した。「吉弥も吉弥だ、あんな奴にくッついておらなく・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「だって、亭主がありゃ、もう野郎の友達なんざ要らねえかと思ってさ」と寂しい薄笑いをする。「はばかりさま! そんな私じゃありませんよ」と女はむきになって言ったが、そのまま何やらジッと考え込んでしまった。 男はわざと元気よく、「そん・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫