・・・どうか、もう一年、おゆるし下さい、と長兄に泣訴しては裏切る。そのとしも、そうであった。その翌るとしも、そうであった。死ぬるばかりの猛省と自嘲と恐怖の中で、死にもせず私は、身勝手な、遺書と称する一聯の作品に凝っていた。これが出来たならば。そい・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・四年まえ、東京で長兄とちょっと逢った時にも長兄は、おまえの本を親戚の者たちへ送ることだけは止せ。おれだって読みたくない。親戚の者たちは、おまえの本を読んで、どんなことを、と言いかけ、ふっと口を噤んで顔を伏せたきりだったけれど、私には、すべて・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・それから、先生より、かくべつのお便りもなく、万事、自然に話すすんで居ることとのみ考え、ちかき人々にも、ここだけの話と前置きして、よろこびわかち、家郷の長兄には、こんどこそ、お信じ下さい、と信じて下さるまい長兄のきびしさもどかしく思い、七日、・・・ 太宰治 「創生記」
・・・昨年の暮に故郷の老母が死んだので、私は十年振りに帰郷して、その時、故郷の長兄に、死ぬまで駄目だと思え、と大声叱咤されて、一つ、ものを覚えた次第であるが、「兄さん、」と私はいやになれなれしく、「僕はいまは、まるで、てんで駄目だけれども、で・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・田舎の長兄から、月々充分の金を送ってもらっていたのだが、ばかな二人は、贅沢を戒め合っていながらも、月末には必ず質屋へ一品二品を持運んで行かなければならなかった。とうとう六年目に、Hとわかれた。私には、蒲団と、机と、電気スタンドと、行李一つだ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・津軽の生家では父も母も既になくなり、私より十以上も年上の長兄が家を守っている。そんなに、二度も罹災する前に、もっと早く故郷へ行っておればよかったのにと仰言るお方もあるかも知れないが、私は、どうも、二十代に於いて肉親たちのつらよごしの行為をさ・・・ 太宰治 「庭」
・・・ 三人兄弟の長兄に、これから逢いに行くのだという。「インフレーションがね、このままでは駄目なのです。母がそう言っているんです。とにかく、一ばん上の兄さんに逢って、よく相談しなくちゃいけないんです。母の意見に依りますと、日本の紙幣には・・・ 太宰治 「女神」
・・・ 私、幼くして、峻厳酷烈なる亡父、ならびに長兄に叩きあげられ、私もまた、人間として少し頑迷なるところあり、文学に於いては絶対に利己的なるダンディスムを奉じ、十年来の親友をも、みだりに許さず、死して、なお、旗を右手に歯ぎしりしつつ巷をよろ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作だ、愚作だと言いながら、その映画のさむらいの義理人情にまいって、まず、まっさきに泣いてしまうのは、いつも、この長兄である。それにきまっていた。映画館を出てからは、急に尊大に、むっと不機嫌になって、みちみ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・三十年以前に死んだ父の末子であった私は、大阪にいる長兄の愛撫で人となったようなものであった。もちろん年齢にも相当の距離があったとおりに、感情も兄というよりか父といった方が適切なほど、私はこの兄にとって我儘な一箇の驕慢児であることを許されてい・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
出典:青空文庫