・・・そして、しんがりを注意深いBがんがつとめ、弱いものをば列の真ん中にいれて、長途の旅についたのであります。 冬へかけての旅は、烈しい北風に抗して進まなければならなかった。年とったがんは、みんなを引き連れているという責任を感じていました。同・・・ 小川未明 「がん」
・・・ 一兵卒の死の原因にしても、長途の行軍から持病の脚気が昂進したという程度で、それ以上、その原因を深く追求しないで、主人公の恐ろしい苦しみをかきながら、作者は、ある諦めとか運命とかいうものを見つけ出そうとしている。脚気は戦地病であるが、一・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・彼女の眼に映る住職は眉毛の長く白い人ではあったが、そんな長途の行脚に疲れて来た様子はすこしも見えなかったことを覚えている。 何年となく思い出したことのないこの旅の老僧がお三輪の胸に浮んだ。彼女も年をとって見て、不思議と他人の心を読んだ。・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・シロオテは長崎から江戸までの長途を駕籠にゆられながらやって来た。旅のあいだは、来る日も来る日も、焼栗四つ、蜜柑二つ、干柿五つ、丸柿二つ、パン一つを役人から与えられて、わびしげに食べていた。 新井白石は、シロオテとの会見を心待ちにして・・・ 太宰治 「地球図」
・・・もっともI君の家は医家であったので、炎天の長途を歩いて来たわれわれ子供たちのために暑気払いの清涼剤を振舞ってくれたのである。後で考えるとあの飲料の匂の主調をなすものが、やはりこの杏仁水であったらしい。 明治二十年代の片田舎での出来事とし・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・せめて郊外へでも行けばそういう点でいくらかぐあいのいい場所があるだろうと思ったが、しかし一方でまたあまり長く電車や汽車に乗り、また重いものをさげて長途を歩くのは今の病気にさわるという懸念があった。 ことしの秋になって病気のぐあいがだいぶ・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・またある時松島にて重さ十斤ばかりの埋木の板をもらいて、辛うじて白石の駅に持ち出でしが、長途の労れ堪うべくもあらずと、旅舎に置きて帰りたりとぞ。これらの話を取りあつめて考うれば、蕪村の人物はおのずから描き出されて目の前に見る心地す。 蕪村・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫