・・・東京の大新聞二三種に黒枠二十行ばかりの大きな広告が出て門人高山文輔、親戚細川繁、友人野上子爵等の名がずらり並んだ。 同国の者はこの広告を見て「先生到頭死んだか」と直ぐ点頭いたが新聞を見る多数は、何人なればかくも大きな広告を出すのかと怪む・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・維新の後星巌の門人横山湖山が既に其姓を小野と改め近江の郷里より上京し、不忍池畔に一楼を構えて新に詩社を開いた。是明治五年壬申の夏である。湖山は維新の際国事に奔走した功により権弁事の職に挙げられたが姑くにして致仕し、其師星巌が風流の跡を慕って・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ これは後に知ったことであるが、仮名垣魯文の門人であった野崎左文の地理書に委しく記載されているとおり、下総の国栗原郡勝鹿というところに瓊杵神という神が祀られ、その土地から甘酒のような泉が湧き、いかなる旱天にも涸れたことがないというのであ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・芭蕉とその門人去来東花坊の如き皆然りで、独西鶴のみではない。試に西鶴の『五人女』と近松の世話浄瑠璃とを比較せよ。西鶴は市井の風聞を記録するに過ぎない。然るに近松は空想の力を仮りて人物を活躍させている。一は記事に過ぎないが一は渾然たる創作であ・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・芭蕉の門人多しといえども、芭蕉のごとく記実的なるは一人もなく、また芭蕉は記実的ならずとてそを悪く言いたる例も聞かず。芭蕉は連句において宇宙を網羅し古今を翻弄せんとしたるにも似ず、俳句にはきわめて卑怯なりしなり。 蕪村の理想を尚ぶはその句・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 漱石が死去して、門人たちは出来るだけこの文学者の趣向に合った墓をこしらえてあげたく思った。ところが、アドヴァンテージが墓をつくった。石づくりの、でっちりとした重苦しい墓で、それは漱石の心に反した。心ある人々は、死んで、抗議の云えない人・・・ 宮本百合子 「行為の価値」
・・・堂々たるノォトルダムデシャン街の家で、美しい妻と彼を崇拝する門人達にとりかこまれて創作している時、「バルザックは唯一人その書斎で筆を走らせていた。」当時の名声高い作家バルザックの日常にふれてブランデスは濃やかな情感をこめて記述している。「彼・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・狂歌は初代弥生庵雛麿の門人で雛亀と称し、晩年には桃の本鶴廬また源仙と云った。また俳諧をもして仙塢と号した。 父伊兵衛は恐らくは遊所に足を入れなかったであろう。然るに竜池は劇場に往き、妓楼に往った。竜池は中村、市村、森田の三座に見物に往く・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫