・・・へは行かず、すぐ坂を降りましたが、その降りて行く道は、灯明の灯が道から見える寺があったり、そしてその寺の白壁があったり、曲り角の間から生国魂神社の北門が見えたり、入口に地蔵を祠っている路地があったり、金灯籠を売る店があったり、稲荷を祠る時の・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・彼は二間ほどもない梯子を登り降りするのに胸の動悸を感じた。屋根の端の方へは怖くて近寄れもせなかった。その男は汚ない褌など露わして平気でずぶずぶと凹む軒端へつくばっては、新しい茅を差していた。 彼は屋根の棟に腰かけて、ほかほかと暖かい日光・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・喬は満足に物が言えず、小婢の降りて行ったあとで、そんなすぐに手の裏返したようになれるかい、と思うのだった。 女はなかなか来なかった。喬は屈託した気持で、思いついたまま、勝手を知ったこの家の火の見へ上って行こうと思った。 朽ちかけた梯・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・候間近々大憤発をもって一つ新調をいたすはずに候 一輛のうば車で小児も喜び老人もまた小児のごとく喜びたもうかと思えば、福はすでにわが家の門内に巣食いおり候、この上過分の福はいらぬ事に候 今夜は雨降りてまことに静かなる晩に候、祖父様と貞・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・あるいは寛喜、貞永とつづいて飢饉が起こって百姓途上にたおれ、大風洪水が鎌倉地方に起こって人畜を損じ、奥州には隕石が雨のごとく落ち、美濃には盛夏に大雪降り、あるいは鎌倉の殿中に怪鳥集まるといった状況であった。日蓮は世相のただならぬことを感じた・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 雪は、その上へまた降り積った。 丘の家々は、石のように雪の下に埋れていた。 彼方の山からは、始終、パルチザンがこちらの村を覗っていた。のみならず、夜になると、歩哨が、たびたび狼に襲われた。四肢が没してもまだ足りない程、深い雪の・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・下山にかかる時には、一番先へクロス、その次がハドウ、その次がハドス、それからフランシス・ダグラス卿、それから年を取ったところのペーテル、一番終いがウィンパー、それで段降りて来たのでありますが、それだけの前古未曾有の大成功を収め得た八人は、上・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ 私はその特高に連れられたまゝ、何ベンも何ベンもグル/\階段を降りて、バラックの控室に戻ってきた。途中、忙しそうに歩いている色んな人たちと出会った。その人たちは俺を見ると、一寸立ち止まって、それから頭を振っていた。「さ、これでこの・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・坂の降り口にある乾き切った石段の横手の芝なぞもそれだ。日頃懇意な植木屋が呉れた根も浅い鉢植の七草は、これもとっくに死んで行った仲間だ。この旱天を凌いで、とにもかくにも生きつづけて来た一二の秋草の姿がわたしの眼にある。多くの山家育ちの人達と同・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・ 自分もそれなり降りて花床を跨ぐ。はかなげに咲き残った、何とかいう花に裾が触れて、花弁の白いのがはらはらと散る。庭は一面に裏枯れた芝生である。離れの中二階の横に松が一叢生えている。女松の大きいのが二本ある。その中に小さな水の溜りがある。・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫