・・・ お蓮は眼の悪い傭い婆さんとランプの火を守りながら、気味悪そうにこんな会話を交換する事もないではなかった。 旦那の牧野は三日にあげず、昼間でも役所の帰り途に、陸軍一等主計の軍服を着た、逞しい姿を運んで来た。勿論日が暮れてから、厩橋向・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・「いえね、あの病気は始終そう附き限りでいなけりゃならないというのでもないから……それに、今日佃の方から雇い婆さんを一人よこしてもらって、その婆さんの方が、私よりよっぽど病人の世話にも慣れてるんだから」「それじゃ、病人の方は格別快いて・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・何しろ世を挙げて宣伝の時代、ある大きな酒場では私をボーイに雇いたいと言ってきました。うっかり応じたら、私はまた新聞種になって、恥を上塗ったところでしたが、さすがに応じなかった。ある女は結婚したいと手紙を寄越した。私と境遇が似ているというので・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・すぐ乳母を雇い入れたところ、おりから乳母はかぜけがあり、それがうつったのか赤児は生れて十日目に死んだ。父親は傷心のあまりそれから半年たたぬうちになくなった。 泣けもせずキョトンとしているのを引き取ってくれた彦根の伯父が、お前のように耳の・・・ 織田作之助 「螢」
・・・気の無い返事だったが、しかし、あくる日から彼は黙々として立ちまわり、高津神社坂下に間口一間、奥行三間半の小さな商売家を借り受け、大工を二日雇い、自分も手伝ってしかるべく改造し、もと勤めていた時の経験と顔とで剃刀問屋から品物の委託をしてもらう・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 五 二十八の夏でございました、そのころはやや運が向いて参りまして、鉄道局の雇いとなり月給十八円貰っていましたが女には懲りていますから女房も持たず、婆さんも雇わず、一人で六畳と三畳の長屋を借りまして自炊しながら局に通・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・婆やを一人雇い入れることにしたのもその時だ。太郎はすでに中学の制服を着る年ごろであったから、すこし遠くても電車で私の母校のほうへ通わせ、次郎と末子の二人を愛宕下の学校まで毎日歩いて通わせた。そのころの私は二階の部屋に陣取って、階下を子供らと・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 先生は今度雇い入れた新教員のことを学士に話した。 初めての授業を終って、復た高瀬がこの二階へ引返して来る頃は、丁度二番の下り汽車が東京の方から着いた。盛んな蒸汽の音が塾の直ぐ前で起った。年のいかない生徒等は門の外へ出て、いずれも線・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・お力もそこへやって来て、新たに雇い入れたその給仕娘の外に、今は「先生」の下で働いている料理の見習人が四五人もある、とお三輪に話し聞かせた。 お力のいう「先生」とは広瀬さんのことだ。その広瀬さんはお三輪の側へ椅子を引寄せながら、「なに・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・誰かが病気になったとか、お金を無くしたとか、誰かが跡を雇い次がれないことになったとかいうようなことを調べているに違いないわ。そんなにしていて獲ものを待つのだわ。水先案内が、人の難船するのを待っていて自分の収入にするのと同じ事だわ。だがね、や・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
出典:青空文庫