・・・これから改まって挨拶が済むと、雑談に移り、武は叔父叔母さし向かいで、たいがい毎日碁を打つ事、娘ふたりはきょう上野公園に散歩に出かけた事など聞かされた。 右の次第で徳さんの武もついに手をひいて半年余りもたつと、母はやっぱり気になると見えて・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・こんなとき、いつも雑談の中心となるのは、鋳物工で、鉄瓶造りをやっていた、鼻のひくい、剛胆な大西だった。大西は、郷里のおふくろと、姉が、家主に追立てを喰っている話をくりかえした。「俺れが満洲へ来とったって、俺れの一家を助けるどころか家賃を・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・いよいよ茶会の当日には、まず会主のお宅の玄関に於いて客たちが勢揃いして席順などを定めるのであるが、つねに静粛を旨とし、大声で雑談をはじめたり、または傍若無人の馬鹿笑いなどするのは、もっての他の事なのである。それから主人の迎附けがあって、その・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ 時々アインシュタインに会って雑談をする機会があるので、その時々の談片を題目とし、それの注釈や祖述、あるいはそれに関する評論を書いたものが纏まった書物になったという体裁である。無論記事の全責任は記者すなわち著者にあることが特に断ってある・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・いつか先生との雑談中に「どうも君の国の人間は理窟ばかり云ってやかましくって仕様がないぜ」というようなことを冗談半分に云われたことがある。なんでも昔寄宿舎で浜口雄幸、溝淵進馬、大原貞馬という三人の土佐人と同室だか隣室だかに居たことがある、その・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・ 前々日A研究所の食堂で雑談の際に今度政府で新計画の航空路のうわさが出て、大阪から高知までたった一時間五十五分で行かれるというような事を話し合った。その時自分の意識の底層に郷里の高知の町の影像が動きかけたが、それっきりで表層までは現われ・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・里の市が流して行く笛の音が長く尻を引いて、張店にもやや雑談の途断れる時分となッた。廊下には上草履の音がさびれ、台の物の遺骸を今室の外へ出している所もある。遥かの三階からは甲走ッた声で、喜助どん喜助どんと床番を呼んでいる。 遊里の・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・しかしたまたまこの稿を草するに当って、思い出したのは或夜父が晩餐の後、その書斎で雑談しておられた時、今夜は十三夜だと言って、即興の詩一篇を示された事である。その詩は父の遺稿に、蘆花如雪雁声寒 〔蘆花は雪の如く 雁の声は寒し把酒・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・西瓜がなくなって雑談に耽りはじめた時「あれ」と一人が喫驚したようにいった。「どうした」「何だ」 罪を犯した彼等は等しく耳を欹てた。其一人は頻りに帯のあたりを探って居る。「何だ」「どうした」 他のものは又等しく・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・――しかし旦那様雑談事じゃ御座いませんよ」「え?」と思わず心臓が縮みあがる。「どうした。留守中何かあったのか。四谷から病人の事でも何か云って来たのか」「それ御覧遊ばせ、そんなに御嬢様の事を心配していらっしゃる癖に」「何と云って来・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫