・・・ 何しろここは東京の中心ですから、窓の外に降る雨脚も、しっきりなく往来する自働車や馬車の屋根を濡らすせいか、あの、大森の竹藪にしぶくような、ものさびしい音は聞えません。 勿論窓の内の陽気なことも、明い電燈の光と言い、大きなモロッコ皮・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・い電光が走って、雲を裂くように雷が鳴りましたから、お敏は思わず銀杏返しを膝の上へ伏せて、しばらくはじっと身動きもしませんでしたが、やがて全く色を失った顔を挙げると、夢現のような目なざしをうっとりと外の雨脚へやって、「私ももう覚悟はして居りま・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ おかしな思出はそれぐらいで、白河近くなるにつれて、東京から来がけには、同じ処で夜がふけて、やっぱりざんざ降だった、雨の停車場の出はずれに、薄ぼやけた、うどんの行燈。雨脚も白く、真盛りの卯の花が波を打って、すぐの田畝があたかも湖のように・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ そして、暗がりの中に不気味に光っている雨足を透して、じっと視線を泳がせていると、ふと黒く蠢いた気配がした。 はっと思った。 が、気のせいかも知れない。それとも、雨のせいだろうか……。 黒く蠢いたように思ったものの、一向に動・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・次郎兵衛は大社の大鳥居のまえの居酒屋で酒を呑みながら、外の雨脚と小走りに走って通る様様の女の姿を眺めていた。そのうちにふと腰を浮かしかけたのである。知人を見つけたからであった。彼の家のおむかいに住まっている習字のお師匠の娘であった。赤い花模・・・ 太宰治 「ロマネスク」
細い雨足で雨が降って居る。 薄暗い書斎の机の前にいつもの様に座って、私は先(ぐ目の前にある楓の何とも云えず美くしい姿を見とれて居る。 実に美くしい。 非常に肉の薄い細く分れた若葉の集り。 一つ一つの葉が皆薄・・・ 宮本百合子 「雨が降って居る」
・・・きつい雨で、見ていると大事な空地の花壇の青紫蘇がぴしぴし雨脚に打たれて撓う。そればかりか、力ある波紋を描きつつはけ道のない雨水が遂にその空地全体を池のようにしてしまった。こんもり高くして置いた青紫蘇の根元の土でさえ次第に流され、これは今にも・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・ 降りそそぐ小雨の銀の雨足は白木の柩の肌に消えて行く。 スルスル……、スルスル、麻繩は男の手をすべる。 トトト……、トトトト、土の小さなかたまりはころげ落ちる。悲しみの静寂の裡に思い深く二つの音は響く、繰り下げるだけ男は繩を持つ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・雲が薄くなり、稀に、光った雨脚が京都と同じように乾きの早い白い道に降る。上海などへ連絡する船宿の並んだ通りをぬけ、港沿いに俥が駛る。昼ごろの故か、往来は至って閑散だ。左側に古風な建物の領事館などある。或角を曲った。支那両替屋の招牌が幌を掠め・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・人通りの稀な街路の、右手は波止場の海水がたぷたぷよせている低い石垣、左側には、鉄柵と植込み越しに永年風雨に曝された洋館の閉された窓々が、まばらに光る雨脚の間から、動かぬ汽船の錆びた色を見つめている。左右に其等の静かな、物懶いような景物を眺め・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫