・・・私は頷いた。雲母のような波を刻んでいる東京湾、いろいろな旗を翻した蒸汽船、往来を歩いて行く西洋の男女の姿、それから洋館の空に枝をのばしている、広重めいた松の立木――そこには取材と手法とに共通した、一種の和洋折衷が、明治初期の芸術に特有な、美・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・消える時に見ると、裙子は紗のように薄くなって、その向うにある雲の塊を、雲母のように透かせている。 その後からは、彼の生まれた家の後にある、だだっ広い胡麻畑が、辷るように流れて来た。さびしい花が日の暮を待つように咲いている、真夏の胡麻畑で・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・空には柳の枝の間に、細い雲母雲が吹かれていた。中佐はほっと息を吐いた。「春だね、いくら満洲でも。」「内地はもう袷を着ているだろう。」 中村少佐は東京を思った。料理の上手な細君を思った。小学校へ行っている子供を思った。そうして――・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・すると番茶はいつの間にか雲母に似たあぶらを浮かせていた。しかもそれは気のせいか、彼女の眉にそっくりだった。「…………」 たね子は頬杖をついたまま、髪を結う元気さえ起らずにじっと番茶ばかり眺めていた。・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・海は――目の前に開いている海も、さながら白昼の寂寞に聞き入ってでもいるかのごとく、雲母よりもまぶしい水面を凝然と平に張りつめている。樗牛の吐息はこんな瞬間に、はじめて彼の胸からあふれて出た。――自分はこういう樗牛を想像しながら、長い秋の夜を・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・斜めに日光にすかして見ると、雲母の小片が銀色の鱗のようにきらきら光っていた。 だんだん見て行くうちにこの沢山な物のかけらの歴史がかなりに面白いもののように思われて来た。何の関係もない色々の工場で製造された種々の物品がさまざまの道を通って・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・みちをあるいて黄金いろの雲母のかけらがだんだんたくさん出て来ればだんだん花崗岩に近づいたなと思うのだ。ほんのまぐれあたりでもあんまり度々になるととうとうそれがほんとになる。きっと私はもう一度この高原で天の世界私はひとりで斯う思いながらそのま・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・大学士は葉巻を横にくわえ、雲母紙を張った天井を、斜めに見上げて聴いていた。「たびたびご迷惑で、まことに恐れ入りますが、いかがなもんでございましょう。」そこで楢ノ木大学士は、にやっと笑って葉巻をとった。「うん、探し・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・ 白い柔かな円石もころがって来、小さな錐の形の水晶の粒や、金雲母のかけらもながれて来てとまりました。 そのつめたい水の底まで、ラムネの瓶の月光がいっぱいに透とおり天井では波が青じろい火を、燃したり消したりしているよう、あたりはしんと・・・ 宮沢賢治 「やまなし」
・・・ 古い草紙につきものの乾いた雲母のにおいを其時なつかしくかいだ。そう云う記憶がある為、偶然見出した書籍館書目は、ひどく私に興あるものに思えたのだ。 それは、和漢書の部で明治九年に印刷されたものである。四六版、三百十二頁に、十行ならび・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
出典:青空文庫