・・・たとえば電子波回折の実験がX光線回折の実験の行なわれたころにすでに行なわれたというような事も、それ自身において必ずしも不可能でなかったと思われるから、もしもそうであったとしたら、その後の物理学界の動きはよほど実際とは違ったものになったのでは・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・質量は物体に含まるる実体の量だというように考えたは昔の事で、後にむしろ力の概念が先になって、物体に力が働いた時に受ける加速度を定める係数というふうに解釈した実証論者もある。電子説が勢いを得てからは運動せる電気がすなわち質量と考えてすべての質・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・ しかし人間が超顕微鏡的の眼を有っていない以上は分子や電子を直接見る事が出来ない。それで多くの場合にはこのようなものを考えなくて却って事柄は簡単に明瞭に処理されるのである。もし量子的の考えを用いずしてすべての現象が矛盾なしに説明され得る・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・昔の物理学者らが一名を電子と称するテルの矢のねらいは熟練と注意とによって無限に精確になりうると考えたに反して、新しい物理学者は到底越え難いある「不確定」の限界を認容することになった。いわば昔はただ主観の不確定性だけを認めて客観の絶対確定性を・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・物質の不連続的構造はもはや仮説の域を脱して、分子や原子、なおその上に電子の実在が動かす事の出来ないようになった。その上にエネルギーの推移にまでも或る不連続性を否む事が出来なくなった。生物の進化でも連続的な変異は否定されて飛躍的な変異を認めな・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・またここのルクレチウスの記述には、今の電子を思わせるある物もある。電火によって金属の熔融するのは、これら粒子の進入のために金属元子の結合がゆるめらるるといっているのも興味がある。 雷雨の季節的分布を論ずる条において、寒暑の接触を雷雨の成・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・あるいはまた「電子」と呼ばれるべきであるか。恐らくそれらの名は新しいパウロによって鬼神として斥けらるべきものだろう。我らは「知らざる神に」祭壇を築いて、その神を説きあかすべきパウロの出現を待つ。そうして近代精神の造り出したあらゆる偶像の破壊・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫