・・・私は、たちまちがたがた震える。火事を見ると、どうしたわけか、こんなに全身がたがた震えるのが、私の幼少のころからの悪癖である。歯の根も合わぬ、というのは、まさしく的確の実感であった。 とんと肩をたたかれた。振りむくと、うしろに、幸吉兄妹が・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・それまでは、私は、あまりの驚愕に、動顛して、震えることさえ忘却し、ひたすらに逆上し、舌端火を吐き、一種の発狂状態に在ったのかも知れない。「たしかに、いたのだ。たしかに。まだ、いるかも知れない。」 家内は、私が、畳のきしむほどに、烈しく震・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・そして坐りたくてならないのを強いて、ガタガタ震える足で突っ張った。眼が益々闇に馴れて来たので、蔽いからはみ出しているのが、むき出しの人間の下半身だと云うことが分ったんだ。そしてそれは六神丸の原料を控除した不用な部分なんだ! 私は、そこで・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・そして手の震えるのをお互に隠し合うようにしていましたっけね。 そのうちお互に何も口に出さずにいて、とうとうあなたは土地を離れておしまいなさいました。それはあなたははにかんでいらっしゃる、わたくしはあなたを預託品のように思っていましたから・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・葉は益々悲しげに震える。心配ではち切れそうになった子供は、両手で番傘の柄を握り、哀れな彼等の上にそれをさしかけた。しっきりなく傘を打って降る雨の音、自分がずぶ濡れになる気持、部屋の中で小さい弟が駈け廻るドタドタいうこもった音。自分も一本草の・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・ 彼女は、震える手でインガからの手紙をドミトリーにつきつけた。「恥しらず! 卑劣漢! こんなこたなかったって云うつもりか。え?」 黙りこくってその手紙を眺めたのち、ドミトリーはのろのろポケットへしまい込んだ。 やがて、同じよ・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ 格子の前で、かすかに震える手から車夫にはらってから、とげとげした声で、 御免と云った。 内から首を出したのは、思い通りお金であった。 栄蔵は一寸まごついた様に、古ぼけた茶の中折れを頭からつまみ下した。「・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・彼の涙と苦しい笑いとひそめられた憤の震える調子は、アメリカの諷刺作家であったマーク・トゥウエンの作品などと全く異った悲傷な諷刺をつくり出している。マーク・トゥウエンの諷刺は、その基調に何と云っても辛酸をなめつくした後に、新興のアメリカ社会で・・・ 宮本百合子 「音楽の民族性と諷刺」
・・・けれ共何の返事も、まつ毛一つも動かさない眼を見た時又悲しさは私の心の中を荒れ廻っていかほどつとめても唇が徒に震える許りで声は出なかった。 母親は今朝はいろいろのまぼろしを見て、私が帰って来て嬉しいと云ったとか、視神経が痛められて何も見え・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・そして微かに震える。やがて自由に華やかに、にっと笑って、白い歯がきらきらと光る。話を初めると美しいことばが美しい動作に伴なわれて、急調に、次から次へと飛び出して来る。 舞台に上る三時間は彼女の生活の幕間なのである。彼女は生活の全力を集め・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫