・・・とうとう飼い主の家に相談して一両日静養させてやる事にした。 猫がいなくなるとうちじゅうが急にさびしくなるような気がした。おりから降りつづいた雨に庭へ出る事もできない子供らはいつになくひっそりしていた。 いつもは夜子供らが寝しずまった・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ 桂三郎は、私の兄の養子であったが、三四年健康がすぐれないので、勤めていた会社を退いて、若い細君とともにここに静養していることは、彼らとは思いのほか疎々しくなっている私の耳にも入っていたが、今は健康も恢復して、春ごろからまた毎日大阪の方・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・気がなくなった老朽の自転車に万里の波濤を超えて遥々と逢いに来たようなものである、自転車屋には恩給年限がないのか知らんとちょっと不審を起してみる、思うにその年限は疾ッくの昔に来ていて今まで物置の隅に閑居静養を専らにした奴に違ない、計らざりき東・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・この頃はどこもかしこも修羅場で、多賀ちゃんの手紙に「静かな陽なたでゆっくり静養していらっしゃるでしょう」とあって、大笑いになりました。こうして悪い条件に速力を鈍らされながら荷物をひっ張るようにいくらかずつよくなってゆくのが実際なのでしょう。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・医師は極力静養を求める。ナイチンゲールにとって、どうして今休養などをとっていられよう。今こそ好機が到来したのだ。鉄は熱い中にこそ打つべきだ。長椅子の上であえぎながら、彼女は報告を読み、手紙を口述し、心悸亢進の合間には熱病的な冗談をとばした。・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
・・・アメリカからの帰途イタリーのカプリ島により当分そこで静養することにし、一九一三年ロマノフ王家三百年記念の大赦によってロシアにかえるまで八年間カプリに止った。 ところで、非常に一般化されている「どん底」に一言ふれるならば、この作は傑作であ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・一日の混乱は半カ月の静養を破壊する。患者たちの体温表は狂い出した。 しかし、この肺臓と心臓との戦いはまだ続いた。既に金網をもって防戦されたことを知った心臓は、風上から麦藁を燻べて肺臓めがけて吹き流した。煙は道徳に従うよりも、風に従う。花・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫