文字を読みながら、そこに表現されてある音響が、いつまでも耳にこびりついて、離れないことがあるだろう。高等学校の頃に、次のような事を教えられた。マクベスであったか、ほかの芝居であったか、しらべてみれば、すぐ判るが、いまは、も・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・牛乳を三杯のんで、約束の午後二時はとっくに過ぎ、四時ちかくなって、その飲食店の硝子戸が夕日に薄赤く染まりかけて来たころ、がらがらがらとあの恐ろしい大音響がして、一個の男が、弾丸のように飛んで来た。「や。しっけい、しっけい。煙草あるかい?・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ たとえば、スクリーンの映像では、その空間的位置がちゃんと決定されているのに、音響のほうは、聞いただけでその音源の位置を決定する事ができない。この事がいろいろ問題になっているが、文楽でこの問題はつとに解決されている。すなわち、たとえば、・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・広い視野のうちから一定のわくによって限られた部分だけを切り取って映出するという光学的技法は音響の場合にもはや当てはめることができない。従って画面には写っていない人間や発音体の音が容赦なく侵入してくる。しかしこの音響伝播の特性を利用することに・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ また音響効果のほうでも、たとえば立ち回りの場で、すぐ眼前を通過する汽車の響きと、格闘者の群れが舗道の石をける靴音との合奏を聞かせたり、あるいはまた終巻でアルベールの愛の破綻と友情の危機を象徴するために、蓄音機の針をレコードの音溝の損所・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・こういう効果はおそらく音響によってのみ得られるべきものである。探偵が来て「可能的悪漢」と話していると、隣室から土人娘の子守歌が聞こえる。それに探偵が聞き耳を立てるところに一編の山がある。こういう例はあげれば際限なくあげられるかもしれないが、・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・そこで映画を見て目と耳との感覚に注意を集注し、その映像と音響との複合から刺激された情緒的活動が開始されると、今度は脳神経中枢のどこか前とはちがった部分のちがった活動がスタートを切って、今までとはまた少しちがった場所にちがった化学作用が起こり・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・また終わりに諏訪湖の神渡りの音響の事を引き、孕のジャンは「何か微妙な地の震動に関したことではあるまいか」と述べておられる。 私は幼時近所の老人からたびたびこれと同様な話を聞かされた。そしてもし記憶の誤りでなければ、このジャンの音響ととも・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・た形と左右に相対して立つ御手洗の石の柱の整列とは、いずれも幽暗なる月の光の中に、浮立つばかりその輪郭を鋭くさせていたので、もし誇張していえば、自分は凡て目に見る線のシンメトリイからは一所になって、或る音響が発するようにも思うのであった。しか・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・電光が針金の如き白熱の一曲線を空際に閃かすと共に雷鳴は一大破壊の音響を齎して凡ての生物を震撼する。穹窿の如き蒼天は一大玻璃器である。熾烈な日光が之を熱して更に熱する時、冷却せる雨水の注射に因って、一大破裂を来たしたかと想う雷鳴は、ぱりぱりと・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫