・・・乱を避くる領内の細民が隠るる場所もある。後ろは切岸に海の鳴る音を聞き、砕くる浪の花の上に舞い下りては舞い上る鴎を見る。前は牛を呑むアーチの暗き上より、石に響く扉を下して、刎橋を鉄鎖に引けば人の踰えぬ濠である。 濠を渡せば門も破ろう、門を・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・家の縁側に立って南を見ると、正面に明月山、左につづく山々、右手には美しい篁の見えるどこかで円覚寺の領内になっていそうな山々、家のすぐ裏には、極く鎌倉的な岩山へ掘り抜いた「やぐら」が二つある。「やぐら」の入口の上に、今葛の葉が一房垂れている。・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・の感情、特に空想や、漠然とした哀愁、憤懣などは、皆彼女の内へ内へとめりこんで来、そのどうにかならずにいられない勢が、彼女の現在の生活からは最も遠い、未知の世界である「死」の領内へ向って、流れ出すのであった。 育とうとする力、延びようとす・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・という美しくもの凄いロマンスは十六世紀のイタリヤ法王領内で起った悲劇であった。これらの中世のおそろしい情熱の物語、情熱の悲劇は、当時絶対の父権――天主・父・夫の権力のもとに神に従うと同じように従わなければならなかったスペインやイタリヤの女性・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
・・・ けれども、にわかに荒くれた、彼等の仲間ではこんなに無慈悲で、不作法なものはなかった人間どもが、昔ながらの「仕合わせの領内」へ闖入して来た。 そして大きな斧が容赦なく片端しから振われ始めたのである。 まだ生れて間もない、細くしな・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 神の御領内にあまり人間の手の届くのは良くない事だからのう。老 この頃は病をいやす薬が人間の手で出来る様になりましてのう。 まことに結構な事でござりますのが人々達はその生を与える薬でまるで反対の末長うござるはずの命をちぢめる事・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
出典:青空文庫