・・・ 僕を商売人と見たので、また厭気がしたが、他日わが国を風靡する大文学者だなどといばったところで、かの女の分ろうはずもないから、茶化すつもりでわざと顔をしかめ、「あ、いたた!」「うそうそ、そんなことで痛いものですか?」と、ふき出し・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・尤も今ほど一般的ではなかったが、上台閣の諸公から先きへ立って浮れたのだから上流社会は忽ち風靡された。当時の欧化熱の急先鋒たる公伊藤、侯井上はその頃マダ壮齢の男盛りだったから、啻だ国家のための政策ばかりでもなくて、男女の因襲の垣を撤した欧俗社・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・日本が勝ち、ロシヤが負けたという意味の唄がまだ大阪を風靡していたときのことだった。その年、軽部は五円昇給した。 その年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約百名、盛会であった。軽部村・・・ 織田作之助 「雨」
・・・は天衣無縫の棋風として一世を風靡し、一時は大阪名人と自称したが、晩年は不遇であった。いや、無学文盲で将棋のほかには何にも判らず、世間づきあいも出来ず、他人の仲介がなくてはひとに会えず、住所を秘し、玄関の戸はあけたことがなく、孤独な将棋馬鹿で・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・十銭芸者もまたその頃出現したものだが、しかしこの方は他の十銭何々のように全国を風靡した流行の産物ではない。十銭芸者――彼女はわずかに大阪の今宮の片隅にだけその存在を知られたはかない流行外れの職業婦人である。今宮は貧民の街であり、ルンペンの巣・・・ 織田作之助 「世相」
・・・共産主義の運動への情熱が日本の青年層を風靡し、犠牲的な行動にまで刺衝したのは、同主義の唯物的必然論にもかかわらず、依然として包蔵している人道主義的思想のためであったのだ。正義をもって社会悪を克服するという倫理的な根拠なくして、単なる物的必然・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・そうした、今から見れば古典的な姿が当時の大学生には世にもモダーンなシックなものに見えたのであろう、小杉天外の『魔風恋風』が若い人々の世界を風靡していた時代のことである。 大正の初年頃外房州の海岸へ家族づれで海水浴に出かけたら七月中雨ばか・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・ 宣伝が理想的に行なわれて天下を風靡する心配がないからこそ世に宣伝という事がいつまでも行なわれている。宣伝の必要のあるというのは、つまりその事がらがどこか偏頗であり、どこか無理がある事を証明するのだとすれば、結局宣伝というものは別に恐ろ・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・たとえば近代物理学の領域を風靡した「波動力学」のごときもその最初の骨組みはフランスの一貴族学者ド・ブローリーがすっかり組み立ててしまった。その「俳諧」の中に含まれた「さび」や「しおり」を白日の明るみに引きずり出してすみからすみまで注釈し敷衍・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・カッフェーの女給はその頃にはなお女ボーイとよばれ鳥料理屋の女中と同等に見られていたが、大正十年前後から俄に勃興して一世を風靡し、映画女優と並んで遂に演劇女優の流行を奪い去るに至った。しかし震災後早くも十年を過ぎた今日では女給の流行もまた既に・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫