・・・日本人が書いたのでは、七十八日遊記、支那文明記、支那漫遊記、支那仏教遺物、支那風俗、支那人気質、燕山楚水、蘇浙小観、北清見聞録、長江十年、観光紀游、征塵録、満洲、巴蜀、湖南、漢口、支那風韻記、支那――編輯者 それをみんな読んだのですか?・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・長谷川君の書に一種の風韻のある事もその時始めて知った。しかしその書体もけっして「其面影」流ではなかった。 それから、ずっと打絶えた。次に逢ったのは君が露西亜へ行く事がほぼ内定した時のことである。大阪の鳥居君が出て来て、長谷川君と余を呼ん・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・一、学問は、高上にして風韻あらんより、手近くして博きを貴しとす。かつまた天下の人、ことごとく文才を抱くべきにもあらざれば、辺境の土民、職業忙わしき人、晩学の男女等へ、にわかに横文字を読ませんとするは無理なり。これらへはまず翻訳書を教え、・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・芭蕉の叙事形容に粗にして風韻に勝ちたるは、芭蕉の好んでなしたるところなりといえども、一は精細的美を知らざりしに因る。芭蕉集中精細なるものを求むるに粽結片手にはさむ額髪五月雨や色紙へぎたる壁の跡のごとき比較的にしか思わるる・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・日本画家が今日尚住んでいることの出来る風韻の世界を、日本文学は既に四五十年以前失っているのである。 文学作品が現実を語るという本質から、今日、日本の文化勲章が簡単に作家に与えられないという事情は、文学の側から言えば名誉であろうとも、不名・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
出典:青空文庫