・・・ 王将、金銀、桂、香、飛車、角、九ツの歩、数はかかる境にも異はなかった。 やがて、自分のを並べ果てて、対手の陣も敷き終る折から、異香ほのぼのとして天上の梅一輪、遠くここに薫るかと、遥に樹の間を洩れ来る気勢。 円形の池を大廻りに、・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・平手将棋では第一手に、角道をあけるか、飛車の頭の歩を突くかの二つの手しかない。これが定跡だ。誰がさしてもこうだ。名人がさしてもヘボがさしても、この二手しかない。端の歩を突くのは手のない時か、序盤の駒組が一応完成しかけた時か、相手の手をうかが・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・と王様の肩へ飛車を載せて見る。「おい由公御前こうやって駒を十枚積んで見ねえか、積めたら安宅鮓を十銭奢ってやるぜ」 一本歯の高足駄を穿いた下剃の小僧が「鮓じゃいやだ、幽霊を見せてくれたら、積んで見せらあ」と洗濯したてのタウエルを畳みながら・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・だから美の標準のみを固執して真の理想を評隲するのは疝気筋の飛車取り王手のようなものであります。朝起を標準として人の食慾を批判するようなものでしょう。御前は朝寝坊だ、朝寝坊だからむやみに食うのだと判断されては誰も心服するものはない。枡を持ち出・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・新王は十五歳の時に、大王と聖人とを伴なって、女人の恐ろしい国を避け、飛車で日本国の熊野に飛んで来た。これが熊野三所の権現だというのである。 この物語では、女主人公の苦難や、首なくしてなおその乳房で嬰児を養っている痛ましい姿が、物語の焦点・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫