・・・ピナコテークの画堂ではムリロやデュラーやベクリンなどを飽くほど見て来ました。それからドレスデンやらエナへ行って後、ワイマールに二時間ばかりとどまって、ゲーテとシラーの家を見ました。ゲーテが死ぬ前に庭の土を取り寄せて皿へ入れて分析しようとして・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・日常生活の拘束からわれわれの心を自由の境地に解放して、その間にともすれば望ましき内省の余裕を享楽するのが風流であり、飽くところを知らぬ欲望を節制して足るを知り分に安んずることを教える自己批判がさびの真髄ではあるまいか。 俳句を修業すると・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・この次の時代をつくるわれわれの子孫といえども、果してよく前の世のわれわれのように廉価を以て山海の美味に飽くことができるだろうか。昭和廿二年十月 ○ 松杉椿のような冬樹が林をなした小高い岡の麓に、葛飾という京・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・朝に向い夕に向い、日に向い月に向いて、厭くちょう事のあるをさえ忘れたるシャロットの女の眼には、霧立つ事も、露置く事もあらざれば、まして裂けんとする虞ありとは夢にだも知らず。湛然として音なき秋の水に臨むが如く、瑩朗たる面を過ぐる森羅の影の、繽・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・彼らが題せる一字一画は、号泣、涕涙、その他すべて自然の許す限りの排悶的手段を尽したる後なお飽く事を知らざる本能の要求に余儀なくせられたる結果であろう。 また想像して見る。生れて来た以上は、生きねばならぬ。あえて死を怖るるとは云わず、ただ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ また日本にては、貧家の子が菓子屋に奉公したる初には、甘をなめて自から禁ずるを知らず、ただこれを随意に任してその飽くを待つの外に術なしという。また東京にて花柳に戯れ遊冶にふけり、放蕩無頼の極に達する者は、古来東京に生れたる者に少なくして・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・もとより厭く事を知らぬ余であるけれども、日の暮れかかったのに驚いていちご林を見棄てた。大急ぎに山を下りながら、遥かの木の間を見下すと、麓の村に夕日の残っておるのが画の如く見えた。あそこいらまではまだなかなか遠い事であろうと思われて心細かった・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・私は、衝動的に、晴々と拘りない地平線を飽くほど眺めたい渇望を感じた。大らかな天蓋のように私共の頭上に懸って居べき青空は、まるで本来の光彩を失って、木や瓦の間に、断片的な四角や長方形に画られて居る。息吹は吹きとおさない。此処からは、何処にも私・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・ところであると見た。飽くことない探求者、個人主義者のアンドレ・ジイドは、人間を求めて集団生活にたどりついた。「正しく理解された個人主義は当然社会に役立つべきものだ。個人主義をコムミニスムに対立させるのは間違いである」と思うジイド独特の歩きつ・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・、正しさを奨励され、綺麗な物語りの中に育って、躊躇とか不安とかいうものをまるで知らなかった彼女は、自分の前へ限りもなく拡げられる、種々雑多な色と、形と音との世界に対して、まるで勇ましい探検者のように、飽くことのない興味と熱中とをもって、突き・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
出典:青空文庫